【コラム】「困ったときに、どうやって伝えますか?」(高橋歩美)
みなさんは困ったときどうやって伝えますか?
私は「言葉」で伝えます。
よく感情が先行して、イラっとした表情を出したり、そのままを言葉にしてぶつけたり、家族など重要で身近な人ほど、ひどい接し方をしてしまうこともあります。が、「言葉」で伝えます。
「親しき中にも礼儀あり」気を付けたいものです。
さて、では、言葉が使えない場合はどうでしょう?
言葉が出ない、出し方も伝え方もわからない。そんな場合。
例えば赤ちゃんは?
泣いて訴えますよね。
「ママー!!!お腹すいたー!」「気持ち悪い、オムツかえてー!!」「だっこしてー!」「寝たくない―!」「眠たい―!」「遊んで―!」と、言ってるのではないかと一般的には思われてますが真実は分かりません。
では、どうやってわかるのかというと、毎日接していく中でだんだんとわかってくるのです。
お、そろそろミルクかな?この泣き方はオムツかな?どういたんだろ、いつもと泣き方が違う。
私たちにはドラえもんの「ほんやくこんにゃく」のような秘密道具は持ち合わせていません。時間と心を重ねて推測していく。
それがだんだんと、子どもの方も成長して、言葉を習得していき、泣かずとも、「言葉で伝える」ことを覚えていく。
それが年相応に発達したら定型発達と呼ばれるものです。
その中で、赤ちゃんのときのようなやり取りが長くもしくはそのペースがゆっくりで、その状態が長く続いていくのが知的発達の遅れを持つ子の子育てかな?と私は思います。
要するに幼児期の子育てが長い期間続くようなもので、これは想像以上に大変なものだと私は実際育ててみて感じています。
そういったお子さんはときに「想い」がうまく伝えられず、引っかいたり噛みついたりすることで伝えようとすることがあります。
そうしたときに、偶然にも願うものが得られたとしたら…?その子はそれを「成果」として学習する。よく「誤学習」という言い方をしますが、それは定型発達の子でも大人でもよくあることだと思います。
非言語の世界の中で周りとコミュニケーションを取り、伝えていく方法を学ぶのが療育や特別支援教育だと私は思っています。
それがカードか平仮名カタカナか、それとも外国語かイラストか写真か。その違いだけだと思うのです。
一般的に文字でやり取りするこの世界に、たまたま非言語を主として使用する息子が生まれてきただけなのだと思います。
息子は発話も発語もないので、昔からカードでコミュニケーションを取れるように訓練してきましたが(それはこの子を見てきて一番合った方法がカードだと私が判断したからです。「自閉症だったからカード支援」ではありません。ご注意を。)
先日こんなことがありました。
「混ぜる」の写真を持ってきて、冷蔵庫の小麦粉を指さしていました。
この時点でなんとなく「ホットケーキ」のことを言っているのでは?と薄々感じていましたが、ちょうどホットケーキミックスもベーキングパウダーも切らしていたので、混ぜるだけで良いならと、卵を溶かせてみました。
卵液をフライパンに注ごうとしたとき、息子が私の手を止めました。そしてたまたま布巾に描かれていた「ホットケーキ」のイラストを指差したのです。
私が「ホットケーキか!!」と言うと「そう。」というような顔でこちらを見ていました。
しかし、材料がないため買い物に行かなければならないことをまず伝えないといけません。そのため私は絵を描いて伝えてみることにしました。
ただし、字が読めていないであろう息子には「ホットケーキミックス」と「小麦粉」の違いを説明することは難しく、とにかく「ホットケーキミックス」と、「卵」と「牛乳」をお店に買いに行かなくてはならないということを伝えるため写真のようなものを書きました。
するとすぐ理解して車に乗り込みました。
買い物を済ませ、ホットケーキを作りました。
出来上がっても食べようとせず、何枚も作ろうとしていた様子を見て、なるほど、作ることに興味があったから「混ぜる」のカードを持ってきたのだと分かりました。
でも、作ったら食べないともったいないですよね?だから私は、その後しっかり「食べる」ことを伝え食べさせました。
こんな小さなやり取りから、たくさん学ぶことがあるのです。
このやり取りができるようになるためには、色々な積み重ねが必要です。
カードを渡すことで要求が叶った経験があること、お店の写真を見たあとにお店に行った経験があること、そのお店で買い物をした経験があること、未知の経験でもカードの通りにやったらうまくいった、相手(母)を信頼できると思える経験が過去にあること、など様々な前段階が必要なのです。
カードを使えば相手をコントロールできるわけではなく、そのカードに意味付けがなされていなければ、意味を成さない。
逆に言えば、その意味付けがしっかりとできれば、そのカードを使ってコミュニケーションが取れるようになる。でも一番大切なことは、人間関係です。私の療育の目標は「いつでも、どこでも、だれとでも」ですが、それをクリアするためには、まず親しい人の人間関係を構築すること。
相手に「この人の言うことは聞きたいな」と思ってもらえるような信頼関係を築くこと。それが根底にある一番大切なことであると私は常に自分に言い聞かせています。信じてもらえるように、私も息子を信じて、彼の特性に合わせて「言葉の代替品」である「カード」を「正しく」使うことを心掛けています。
カードを使いこなすことは「手段」であって「ゴール」ではありません。
例えば、海外で活躍されるサッカー選手は、サッカーを円滑にプレーするために言語を学ぶのであって、言語を学ぶことがゴールではありません。それと同じです。
コミュニケーションをするために「カード」がある。仕事を円滑に行うために「資格」を取る。資格を取ること自体は目標ではないはずです。それと同じように考えてもらえたらと思います。
さて、長々コミュニケーションの方法について書きましたが、なぜこれを書いたのかというとアインシュタインのこんな言葉があります。
「この世の誰もが天才である。しかし、魚には木登りの才能がないと評価していたら、魚はだめだと思い込むような一生を送ることになる」
この言葉をどうとるかはみなさんにお任せしますが、自分のしたいこと、やりたいことにつまずいたり、誰かと比べて卑下したりしそうになったら、一旦立ち止まって思い出してほしい。
私は、恥ずかしながら30歳を目前にして息子に出逢って初めて、人として大切なことに気付かされました。
ここまでたくさん書きましたが、どんなにコラムで文章にしても伝わりきらないことは多いのですが、百聞は一見に如かずで、私がここまでずっとお伝えしてきたかったことは、映画「みんなの学校」を見てもらった方が早い!!と思い、今回、赤い羽根共同募金事業の助成を受けて、映画の上映会を企画しました!!
この映画の舞台となる、大阪市立大空小学校が目指すのは「不登校ゼロ」。
一緒に学ぶという選択肢をドキュメンタリーを通じて私たちに考えさせてくれています。(予告編動画をご覧ください。)
11月3日(金・祝)、4日(土)一日3回、今治市総合福祉センター、立花幼稚園で上映します。
全回、ご予約が必要のためご希望の方はこちらの申し込みフォームからお願いします。
たくさんの方に見て、何か感じていただける時間になればと思っております。
質問等ありましたら個別にご連絡くださいね。
また、偶然にも11月4日(土)には愛大ESDラボ主催で、岡田武史さん×木村泰子さん(大空小学校初代校長)の講演会もあります!こちらも是非ご参加ください。
https://www.ehime-u.ac.jp/data_event/ev_20231003_edu/
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高橋歩美