【コラム】場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)“話したいのに話せない”
第三回は高橋さんのお友達ママさんの寄稿。
「【コラム】発達障がいの息子の園選びと入園準備(高橋歩美)」
「【コラム】行事の参加~「正解」って何でしょう~(高橋歩美)」
「【コラム】一息ついて、立ち止まって、周りを見ると見えてくるもの。」
※今回は高橋さんではなく、お友達に寄稿していただきました。連絡先などは高橋さんのものを記載しております。
皆さん“場面緘黙(ばめんかんもく)”という言葉を耳にしたことはありますか?
「何、それ?」と思う人が多いのではないかと思います。
場面緘黙症とは、不安障がいの一つで、ある特定の場面、状況でだけ話せなくなってしまう症状のことです。知名度も低く、単におとなしい性格や人見知り、引っ込み思案だと勘違いされがちです。
家では問題なく会話をしていても、保育所や学校など家の外では全く、あるいはそれほど話さない症状が大変長く続く場合をいいます。
強い不安により、身体が思うように動かせなくなる緘動という症状が出る人もいます。(娘がそうです。)
私の娘は、場面緘黙症です。現在7歳(小学校2年生になったところです。)
出生時特に問題はなく、成長の過程でも特に心配事はなかったのですが、何点か気になることはありました。
一つは、人一倍敏感な子で、毎晩、毎晩、夜中に何度も泣き叫んで暴れて、うなされているような(夜驚症のような)状態が長い間続いたことです。
日中、家にいるとお互いがしんどかったので、生後8ヶ月ぐらいから、地域の子育て広場に通っていました。そこで相談をすると、みなさん親身になって答えてくださり、「そんな時期でもあるし、日中に受けた刺激が処理できず、夜泣きとして現れているのかも。いつかは、寝てくれる日が来るよ。お母さん無理しないでね。」と言ってくださっていました。
でも、私は、いつになったらぐっすり寝てくれるのだろうか?本当にそんな日がくるのだろうか?あと一年、あと半年?と、一日一日が必死で、しんどくて、つらくて。勝手に涙がこぼれる日もありました。
(今、そのような状態の方、本当に無理しないで下さい。そして寝れる時に寝て下さい。そして、頼れる人に頼って甘えて下さい。保育所などの一時保育を利用して、一日や二日預けることもいいと思いますよ。子どもにとって一番大切な親が身体を壊しては、どうにもなりません。)
娘の場合、年中の中旬頃から少しずつ夜泣きも減り、今では行事前など環境の変化がない限り、ほぼぐっすり寝てくれるようになりました。
もう一つ気になっていたことは、人見知りが激しかったことです。
子育て広場に行っても私の側から全く離れず、私が手渡したおもちゃで遊ぶことが多く、自分が行きたい場所や遊びたいおもちゃも私の手を取って合図したり、友達が多い場所には行きたがらなかったり。そして、誰かに質問されても答えることはほとんどなかったように思います。ましてや、ままごと遊びを友達とすることもなかったです。
でも、周りの話をよく聞いて理解もしていましたし、家では普通に会話もするし、年相応のことは何でもできるし、本当に恥ずかしがりやで、引っ込み思案だと思っていたので、それほど心配はしていませんでした。
3歳の誕生日を目の前に、突然吃音が出始め、数ヶ月でどんどんひどくなり、ものすごく聞き取りづらくなりました。保健センターでの療育施設の先生の相談日に予約を取り、吃音のこと、夜泣きのこと、人見知りのことを相談しました。
吃音に関しては、本やネット等でもあるように、吃音を指摘せず、自然に受け流して会話をするようにと助言を受け、意識して接しました。
吃音の現れ方には波があり、特定の要因なく吃音が出やすい時期・出ない時期を繰り返し現れることが多いとされ、娘もその時期を繰り返しながらも、小学校入学までにほとんど出なくなりました。今でも、たまに「ん?」と思うこともありますが、それほど気にならない程度です。
相談の後に、私だけで療育施設の見学にも行きましたが、その当時は
“(娘は)相手が言っていることもきちんと理解できているし、発達に関しては家では全く問題ないし”
と思い、療育施設の利用はしませんでした。
しかし、その後保育所への入所(年少)まであと半年となり、いろいろ調べて発達支援センター、病院、療育施設など様々な所に相談に行きました。何か答えを求め、私自身の安心材料を探していたのかもしれません。
そして病院では、「“場面緘黙症”ですね。」と診断が下り、私も少し知識があったので、“やっぱりか。”と思ったのですが、家では会話もするしと楽観的に考えていました。
ところが、保育所に入ってみると、私が想像していたのとは大きく異なり、本当の意味での悩みの日々がスタートしたのです。
保育所に登所し、なぜか自分で靴が脱げない。自分の靴箱はわかるはずなのに突っ立ったまま動かない。お帳面にシールを貼るのにも好きなシールを選べない。おもちゃも手に取って遊べない。絵も描けない。給食も食べられない。もちろん、歌うことも。意思表示の為に頷くことさえもできない。他にもできないことだらけでした。
本当に家では何でもできるのにと思っても、園では全く何もできない。どうして?
本人はもちろん辛かったと思うけど、私の方が辛く、情けなく、周りの子と比べて“一歳の子でも、このぐらいのこと自分でできるのに” という気持ちでいっぱいになりました。
周りと比べてはいけないとはわかっているけれど、どうしても周りが見えてしまう。みんなが輝いて見える。みんな楽しそうに笑っている。
なぜ、うちの子だけがこんなにもできないのだろうか?
私のせいなのか?と、何度も思いました。
保育所生活は、ずっとそのような状態だったので、午前中の給食前まで過ごすことにしました。病院や発達支援センターの方にアドバイスもいただきながら、無理なく本人が納得して様々な活動ができるよう保育所にもお願いしました。しかし、月日が経っても様子はそれほど変わらず、全くしゃべらないし、全く何もしない日々が続きました。
でも、家に帰ると保育所でしたこと、友達のことたくさん話してくれていたので、よく園の様子はわかりました。
同じ年頃の友達の輪の中にいたほうが良いと思っていた私は、そのような形でも保育所に通わせていました。
今思えば、半日そのような状態のまま、ただひたすら私が迎えに行くのを待っていたのか。周りの友達を見ていろいろ刺激を受けて自分の中に吸収していたのか。それは、わかりません。
でも、はじめは「何でしゃべらんの?しゃべってみて。」「何で、踊らんの?」いろいろ言っていた友達も、いつの間にか“この子は、この子”と気にすることなく、ごく自然に受け入れてくれるようになりました。
すごくありがたかったし、周りに助けてもらって成長してくれるといいなと感じました。
大きな行事、運動会や発表会では、本人の意思を尊重し、出たいか出たくないかを本番当日の気持ちに任せました。
「出たい。」と本人が選び、出た場面もありましたが、見ているこちらが辛くなる程のものでした。
家では、踊りも、劇のセリフや動きも、歌も何もかも覚えて楽しそうに練習していたのに。保育所では…。という思いが私にはあったのでしょう。
出たいと思うだけでもえらいし、ほめてあげたいのに。
どうしても、周りの目も気にしてしまっていた私がいたのです。
小学校入学まであと一年になり、これは大変だと思い、年長の一年間は療育にも通うことにしました。
療育施設はたくさんあり、娘に一番合う所はどこなのか、様々な所に見学に行き、二ヶ所に決めました。一ヶ所は一人で行き、もう一ヶ所は私と一緒に行きました。一人で行く所は、保育所と同じように、表情は強張り固まる場面ばかり。
私と一緒の所は、回数を重ねると、表情が少しずつ和らぎ、指差しで自分の思いを伝えようとする姿も見られるようになりました。私と一緒というだけで安心感が違ったのでしょう。 しかし、保育所では相変わらず、自分で行動出来ず、突っ立ったまま、動かない状態が多く、保育士と手を繋いで行動していました。そのような状態のまま、卒園を迎えることになりました。
これは、娘の成長過程であり、場面緘黙症にもいろいろタイプがあります。
行動、動作は問題ないけれど、場面によって声を発することができない場合もあります。本当に一人ひとり違うと思います。
場面緘黙症は、不安と緊張の塊なのです。“話したいのに話せない”
話したくないのではなく、考えて伝えたいことが頭の中にあるのですが、声に出ないだけなのです。
そして、しゃべらないから話しかけないのではなく、本当は話しかけてほしいのです。
場面緘黙症、なかなか耳にしないかもしれませんが、こんな子もいるということを知ってもらえるとありがたいです。
「私のせいなのか」
正直、今でも心のどこかで思うことはあります。でも、誰のせいでもない。“この子(個)はこの子(個)”なのです。
娘は小学校に入学してから、良い環境・良い先生方・良い友達にも恵まれ、大きく成長しています。また、続編で詳しくお話したいと思います。
※今回は高橋さんではなく、お友達に寄稿していただきました。連絡先などは高橋さんのものを記載しております。
高橋歩美