【コラム】運動会という挑戦(高橋歩美)
頑張り、助けてもらった運動会。
自閉症の息子は年中さん。
幼稚園に入り二度目の運動会が先日行われました。
息子は週に1回だけ園に通うので、練習時間はあまりなく、ダンスなどは去年から動画をいただき自宅で練習をしていました。去年の初めての運動会では開閉会式共にずっとその場に立ち続け、ダンスは出だしに少し反応をし、自分の位置に立ち続け、かけっこは逆走したり止まったりしながらもなんとかゴールしました。
今年は園と療育施設の両方の先生と相談をして、練習への参加日を増やしてみることにしました。
先生が見せてくれた練習風景の動画の中で、息子のできることが格段に増えていること、周りの人に支えられて生活していることを知りました。
例えば、かけっこの練習では、
①一人で走らせる。
②友達に手を引いてもらいコースを覚える。
③途中から手を放してゴールまで行く。
という3段階を踏んで練習していました。
練習のやり方を工夫してくれていたことにも感謝で、息子の姿そのものよりも、そこに映る周囲の声や様子にぐっときました。
①ではコースを全く無視して好き放題走っていく息子の後ろを、先生が爆笑して走る姿がありました。
②にはいつも息子を気にかけてくれている友達に両手を握ってもらい、コース上を最後まで笑顔で走り切る姿。
③には途中で手を放された息子が止まりそうになりながらも最後まで走り切る姿が映っていました。
①は、母親の私が見ても爆笑ものでした。
でも「先生」の立場となると、「走らせなければ」と思って必死になりすぎて、きっと息子なんて笑って見られるものではないこともあるのではと思います。
それを笑い飛ばしてくれている様子を見て私は安心しました。そして②では友達と手を繋いでニコニコで走る息子。そこには必死で声を掛ける先生。必死な両サイドの友達。
応援してくれている周囲の声援に耳を傾けると、呼ばれている名前は息子の方ではなく、両サイドの子たちでした。(笑)この場で必死に頑張っているのは息子ではなく、紛れもなく手を引いてくれていた友達の方でした。
子どもはよくわかっているなぁと感心しました。
そして③にはまるで母親が応援しているかのような必死な先生の声が入っていました。手をつなぐ子たちに「今!!放して」、息子を気にして振り返り止まりそうになる友達に「行って!走って!」、そして息子へも「頑張れ!!走って!」とたくさんの声を掛けていました。
たった数秒のかけっこの中で、こんなにたくさんの愛情を感じることができて、息子は幸せ者だなぁと思いましたし、私もそんな息子を持てて幸せだなと思い、安心して任せることにしました。
練習開始直後では、上記のようにかけっこもダンスも(そんな踊れたりはしてません)うまくいってるほうだったのですが、練習を重ねるにつれ、かけっこも走らず歩くようになっていました。予行演習もいまいちの出来だったそうでした。
そして、運動会前日に体調を崩しました。前3日ほど自宅では朝食の進みが悪くなり、昼には元気いっぱいで夕方には疲れから帰宅するとご飯もあまり食べずに眠ってそのまま朝を迎える日々が続いたことでエネルギー不足になったのだろうとのことでした。
点滴をすると元気に戻りましたが、振り返ると本人にとってはかなりの負担で頑張ってきて疲れ果てていたのだろうと。でもそれを伝えることもなければ、おそらく自分がしんどいことにも気づいてなかったんだろうと。
発達障がい児あるある。暑い、寒いがわかりにくい。体温調節が難しい。しんどいことがわからない、伝えられない。
息子もそうだったんだなぁ。知っていても、我が身に降りかかるとわからないもんだし、楽しそうにしているもんだから見落としてしまい反省をしました。
運動会当日には元気になっていましたが、前日には先生たちと相談し、今年は開閉会式も出ない、かけっこもダンスも自分の出番だけ、それ以外の時間は涼しい場所でゆったりさせてもらって参加することに決めました。
当日の朝、元気に起きてきた息子。
ですが、体操服を着るのを嫌がり、会場に着いた際には車から降りようとしない。やっと車から降りてもしゃがみ込む。「あぁ、そんなにしんどかったんやなぁ。」と息子の反応を見て思いました。開会式の間、皆が並ぶ後ろにテントの下でのんびり一人本を読む息子をたまに見ながら、少し残念な気持ちと、これで良かったのかという気持ちと、色々複雑でした。
そしてダンス。いつも持つピザを抱え登場。
踊るとは決して言えないものの、同じ場所に立ち続けることができました。そして隊形移動。
両サイドの友達がすかさず手を握ってくれて無事移動できました。
その顔はにこやかに微笑んでいました。
かけっこも時々止まりながらもなんとかゴールしました。
通常ならば昼間は週4で2か所の療育施設に通う息子にとって、行事の前は練習に参加するために幼稚園にいる日が増えます。
今までそんなに負担になっている様子はなかったのが今回体調を崩して行き渋りを見せ、私にとってもいい勉強になりました。
でも終わってから息子の写真や動画を見直していると、どれも笑顔でした。
にこやかに笑うその表情にはつらさを感じさせるものはありませんでした。幼稚園の先生にも、練習の中で、待つ、並ぶといった面で成長する機会になったと言われ、私もそうだと思いました。
出場種目こそ去年より少なくなってしまいましたが、万全でない中、息子はよく頑張ったと思います。
だからといって今回の件は気にしなくていいとかではもちろんないのですが、やっぱりやらないことには何事も見えてこないと思いました。
確かに発達障がい児には二次障がいの危険性があることも忘れてはならないことです。表情が感情を示していないことも往々にしてあるとは思います。挑戦するにはリスクを負います。
しかし過度に恐れて控え続けるのも違うとも思います。
能天気な私でも、今回は良くないことを考えるループに陥りましたが、それでも「この子をどんな子にしたい?」と改めて自分に尋ねて「人と生きれる子になってほしい」と思い直すと、何が「正しい」のかという答えはそこに尽きると思いました。
それは、私の中の正解でしかないのです。
例えば今回の運動会の参加も、医師からしたらNGで、事情を知らない人からしたら、一人テントで過ごす息子はNGで。
ダンスも踊らず立っているだけもNGで、かけっこも歩くこともNGかもしれません。でも息子の事情を知る昔からの友人からは「すごく成長した」「泣きそうになった」と。先生たちからは「本当に良く頑張ったね」と声をかけてもらえました。母親の私にとっては、全て花丸、100点満点でした。
自分軸を持つことは大切です。でもそれより大切なのは自分軸がぶれた時に修正してくれる「モノ」を見つけることだと思います。
それが周囲の人なのか、モノなのかはわかりませんが、私にとっては「人との繋がり」がそれに当たると今回改めて感じました。
情報過多の生活の中で、あなたが大切にできるものをしっかり持ってください。
あなた以上にお子さんの特性を見ている人はいないのです。でも迷った時には客観的に俯瞰してくれる人と繋がっておくことは非常に大切です。修正をしてくれる「モノ」を見つけておくことが大切なのかなと思います。正解はどこにもないのですから。
「【コラム】一息ついて、立ち止まって、周りを見ると見えてくるもの。」
「【コラム】場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)“話したいのに話せない”」
「【コラム】超低出生体重児の育児。できることは少しずつでいい、もう焦らない。」
「【コラム】教育相談(就学相談)をご存知ですか?(高橋歩美)」
高橋歩美