【コラム】子どもの力を信じることの重要性(高橋歩美)
教育相談、お疲れ様でしたー。いやはや、色々思うことはありますが、今日はそれはおいといて、
今日は3本仕立てで徒然なるままに書きたいと思います。
“ほめ言葉のシャワー”
「学校が楽しいんよ!先生に会いたい!」
小3の長女が一学期よく言っていました。理由を尋ねると、
「先生がいっぱい褒めてくれるの!だから嬉しい!」
と。聞くと「ほめ言葉のシャワー」をしているとのこと。
私は懇談会で担任の先生に尋ねました。「菊池省三先生のほめ言葉のシャワーの取り組みですか?」と。
すると校長先生が学校全体で取り組もうとされている活動であるということを教えていただきました。なんて素敵な校長先生!!
大人でもほめられたらうれしいですよね?でも、ほめるってなんでもかんでもほめればいいってものではありません。
「すごいね。」「えらいね」その言葉の裏には相手を認め尊敬する気持ちがあることが大前提です。よく勘違いして使っていらっしゃる方もお見受けしますが、言葉だけを使えばいいというわけではありません。
おだててちやほやすれればこちらの言うことを聞いてくれるだろう、そんな安い言葉は子どもたちはすぐに見抜きます。笑
ありのままのその子を「認めること」その意識を大切にしてほしいなと思います。
“「汚い」の概念”
先日、息子が朝着替える際(寝ている時はオムツを履いているのですが)、Tシャツ、ズボン、オムツを脱いで片付ける様子を見ていると、Tシャツとズボンは抱きかかえてタンスに戻しに行き、オムツを人差し指と親指でつまんで運んでいるのを目にしました。
別に汚しているわけではありません。でもその姿を見た時に、彼には「きたない」という概念が育っていることを実感しました。
最近はトイレに行き、排便の際に自分で拭き上げることにも挑戦していますがなかなか上手く拭き取ることができません。目で確認できない部分ですから難しいのは当然です。
以前は手に便がついてもただ「手についた→のけたい→何かにすりつける」だったのが「手につかないようにしよう」と気を付けて拭いている様子が見られるようになってきました。
「きれい」「汚い」の概念は、なかなか言葉だけでは伝わりにくいものですが、息子は少しずつその言葉の意味合いを理解しつつあるのを、そのつまんだ様子から感じました。
ついつい見逃してしまうそうな一瞬に大きな変化は隠れています。
“夢見る小学校”
こちらの映画を見ました。
菊池道場の教育観とも「みんなの学校」の木村泰子先生の教育観とも少し違っているようで、共通していたのは「子どもの力を信じること」
最初の「ほめる」にもありますが、信じてもらえた子どもはそれが糧となり、次に進む力になります。
私は、長女、次女よりも、自閉症の息子を見ていつも子どもの力を感じさせられます。「障がいがあるのにこんなことができるの?」という情けのような感覚ではありません。
息子は、いつも全力です。
全力で嫌がって、全力で笑って、全力で泣いて、全力で反省をする。その姿に私はいつも純粋に考えさせられるのです。
言葉がなくて、自分の言いたいことのほとんどが自由に伝えられないのに、こんなにも全力で生きている。必死に生きています。見ているこっちが元気になる。
こんな子がいわゆる「健常児」と分けられる世界は本当に自由な世界と言えるのかと。私の中では、「不自由な」「硬い」世の中だなと思います。
大人が勝手に決めた枠ではなく、子どもたちが自分たちで作っていく学校。
それは特別なことではなくどこにでも誰にでも作る出せるものだと。私も見て、小さい時に色んなものを作って試してを繰り返していた時のことを思い出しました。
今の子どもたちは自由なように見えて、自分で決める、選ぶ、その機会すら与えられていないように感じます。
学校という「箱庭」を見直すことが必要だと私は感じました。
こちらの「夢見る小学校」は19日までシネマルナティックで上映されています。
是非、たくさんの教育関係者の方、保護者の方、子どもたちに見ていただきたいです。
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高橋歩美