【コラム】「普通であってほしい」(高橋歩美)
「普通であってほしい」
よく聞く言葉です。
「普通」という言葉を辞書で引いてみました。
広く通用する状態のこと。
(名詞・形容動詞)
1、いつでもどこにでもあって、珍しくない・こと(さま)
2、ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)
3、特別ではなく、一般的である・こと(さま)(副詞)
1、その事柄が多くのじれいにあてはまるさま。一般に。
2、いつもではないが、ほとんどおうであるさま。たいてい。
「普通であってほしい」
「みんなと一緒がいい」
「はみ出してほしくない」
「目立ってほしくない」etc.
よく聞く言葉で、良く聞く悩みなんですが、最近、この言葉の感覚がいまいちわからなくなっていることに気が付きました。
“普通がいい”
と言われる方になんで普通がいいのか?どうしてそこにこだわるのか?と質問しても特に返事が返ってこない。それと同じように
普通じゃなくていいって思っている私にも理由はありません。
なぜか。
改めて考えてみると、私にとって普通であるということに何の意味もなければ、そこに価値も魅力も感じないからだと思いました。
だって、みんなと一緒のことができたら「息子」になれるわけではありません。
みんなと一緒のことができないから「息子」になれないわけでもありません。
息子を自閉症だと疑った瞬間から今まで、ずっと変わらないこと。
この子を知りたいということ。よくわかりもしないのに育てることなんてできない。そう思ったから、病院にもすぐ行ったし、療育も受けてるし、幼稚園にも通ってます。
この子に必要だと判断したものをこの子に施す。ただそれだけ。
それは皆さんが望む「普通」の子育てと変わらないのではないかと考えます。特別なことは何一つないです。
私が息子を地域の学校に入れたいと話すとき、よく勘違いされる方がいらっしゃいます。
「そりゃ我が子がかわいいのはわかるけど、みんなと一緒にすることがいいのかねぇ」とか「普通であってほしいってゆう親の気持ちはわかるけど」
って。
私にはその言葉の意味がわかりません。
障がい児だからとか普通じゃないからとかじゃないです。
「息子」だからこの進路が必要だと判断しただけです。普通であってほしいとか、みんなと一緒のことができるようになってほしいとかそんなん一ミリも思ってません。
「いじめられる、本人がつらい思いをする。」
これもよく言われますが、だからこそ、半数以上の友人が一緒に進学する地域の学校を選ぼうと思いました。
今、実際助けてもらいながら生活ができている事実がそこにあるからです。
でも、変わらず友達が助けてくれるかどうかはわかりません。でも、いじめられるかどうかだってわからないでしょ?
「いじめられる、つらい思いをする」
そう思う人が、そう言っているからそうなるんでしょう。
子どもは大人程曲がったフィルターで物事を見てはいない、私はそう思っています。
うまくいく保証なんて誰の人生の中にもありません。でも、うまくいかない保証だってどこにもない。
“普通”に悩んでいる人には考えて欲しい。
どうなったら、あなたはその子を認めますか?
あなたの子は、どうなったらあなたに認めてもらえますか?
どうなればあなたにとっての「普通」になりますか?
私は、長女、次女、自閉症の長男の3人の子育てをしてきて、誰が一番普通じゃないかと聞かれたら、私は小学生の長女と答えます。
彼女は世の中で言う普通か普通じゃないかの2択で言えば普通です。普通の女の子です。
でも彼女は、知る限りの言葉と態度で全力で私にぶつかってきます。
時間にルーズで、人の話も聞いてません。正直自閉症の息子より厄介です。笑
性格も私によく似て本当に面倒くさいです。そんな彼女ですが、私は大好きです。のんびり屋で癇癪持ちで泣いたら手が付けられない次女も大好きです。そして5歳になっても話もできない、排泄も自立していないそんな自閉症の長男も同じように大好きです。
私からすると、みんな普通と言えば普通だし、普通じゃないと言えば普通じゃないです。私だって普通か普通じゃないかと言われたら、こんな記事書いてるくらいだから普通じゃないでしょうね。笑
そしてこんな嫁を持つ旦那も普通じゃないかもしれませんね。笑
でも一つだけ。私は自分の家族のこともみんな好きだし、自分のことも好きです。
「普通であってほしい」
そう願ってしまうのは、その子自身を純粋に心配しているのではなく、その子の親という自分を気にしているのかもしれません。
子どもを変えることよりも、自分の考え方を見つめ直すチャンスなのかもしれません。
今、この記事を読んで何かしら感じているとしたら、その時点であなたは既に立派なお母さん、お父さんで、それだけでもう十分ではないかと私は思うのです。
また、発達凸凹さんを支援をする人々にもお願いがあります。
あなたの「普通」かどうかの判断だけで、一人の人間の人生の選択肢を狭めるようなことはしないでほしいと感じます。
立場が色々あると思うので一概には言えませんが、あなたが「普通でない」と感じてもそれはあなたの判断であることを忘れないでほしいのです。
時に特性のある幼児や児童をお預かりする立場の方は、日々の指導の中で保護者にお伝えしなければならないことも必要にはなってくると思いますが、その際にまず色々な方と相談をし、それからどこに繋ぐのかもしっかり相談をした上で話をしてほしいと感じます。そして、そこから先の選択肢は一つではないことを忘れずお伝えしてほしいと感じます。
発達に凸凹があるからと言って必ず療育が必要かはその子によると思います。
今は保育所等訪問事業もあり、療育と併用し様々な形で幼稚園や保育園に通う子も増えています。さらに以前にもお伝えしたように今治市には児童発達事業も放課後等ディサービス事業も、相談支援事業所も数多くあります。
私はどれがいいとは絶対言えません。それはお子さんと家族の特性に合うものが一番だと思うからです。幼稚園や保育園を選ぶようにサービスは選べます。行ってみて違うと感じたら、違うところを自由に選んで良いのです。その際にあれもこれもをしたらお子さんが混乱をするというのは一理あります。だからこそ、保護者の方は色々な方に相談しながらお子さんの特性を良く知り、その子に合う事業所や支援方法や支援のスタイルを選ぶ必要があると考えます。支援者の方々にはその手助けを様々な場所で、様々な立場から適切にしてほしいと思います。
どんなに経験があっても自分がわからないことがあったり抱えきれない場合はわかる他の方に繋げてください。そうやってたくさんの人がその子に関わっていく仕組みがあってほしいと感じます。
私は運良く、最初から、
「他の施設も見てみて、息子さんに一番合う方法を見つけられるといいですね。そのためにできることがあれば協力します。」そして進学で悩んだ時も、「様々な意見を踏まえて最終的にご家族が選んだ進路を応援します。」
そう背中を押してもらえるご縁に恵まれました。
その子を一番よく知るのは保護者かもしれません。でもだからと言って保護者も過信してはいけないと私は思います。
同じようにどんなに長年療育や教育に携わっているからといってその人がその子にとってのプロかもわかりません。見誤ることは誰にでもある。だからこそセカンドアピニオンを挟むこと、発達支援センターを始め様々な人に繋がって相談をして道筋を決めていく環境を幼いうちから整えてほしいと思います。
私は先ほど地域の学校を選びたいと思っていると書きましたが、それは息子の成長度合いにより変わってきます。最終選択の際には関係するすべての方にもう一度相談をするつもりです。
「こうでなければならない」は、普通であろうがなかろうが、人育ての中にはないと私は思います。
こうあらねば、こうでなければ。その思いが我が子と家族を苦しめ、そして自分自身を苦しめる要因になっていないか、悩んだ際には時々考えてみてもらいたいなと思います。
これも私の一意見。色んな方の意見を参考にしてください。
自分を認め、相手を認められる共生社会に。一歩でも近づきますように。
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高橋歩美