【コラム】みんなの学校 ~障がいのある子もともに学べる学校を<後編> ~(高橋歩美)
第9回 みんなの学校 ~障がいのある子もともに学べる学校を<後編> ~
長女の通う小学校(普通級)の参観日、入学したての一年生40人学級に担任が一人で授業をしていました。
パッと話す子、立ち歩く子、遊んじゃう子。「あと一人、先生おったらいいのにな」そう感じました。
でも、そういった「じっと座って授業が受けられない子」「話しちゃう子」などを「よくない」とみなし、先生にとって都合のいい子を「いい子」と思う考えに対して、どうしてそうゆう反応をするの?つまらないから?理解できないから?面白くないの?それとも意見があるから?そういった観点を持つと色々な見方ができたなぁと後から思いました。
もしここに息子が入ったらと想像するとやはり「迷惑になるだろうな」と思う自分がいましたが、迷惑だと感じる思いの根底には、一人で静かに学べる子、先生の指示を聞ける子を良しとする思考があるからです。
それを大前提にシステム化されているのが今の学校現場であり、根本的に発達に不安のある子をどう捉えるかを見直さなければなかなか解決できないことだとも思います。
少子高齢化に反して、発達凸凹児は増加傾向と言われています。
本当に増加したかは別として、確かに支援級や特別支援学校、療育を利用している子は増加しているように思います。それに反して、保育士、教員、支援員不足は全国的に不足していると言われており、どう対応していくか求められているところでもあります。実際、支援級は学年も特性も様々な生徒が在籍しており、多動傾向な子が複数いれば教員一人で対応できかねるのは当然予想されます。
いくら少人数とはいえ、専門性も必要になってくると思いますが、実際のところはどうなっているのかはわかりません。
ただ、障がいのある子をただ分けてなんとかすることよりも、「どうやれば一緒に過ごせる学校になるか」を考える時代にきているのではないかと思います。
みんな同じでなくてもいい。
その子のいいところをお互いに認められる、見つけられる観点を持たせる教育を幼いころから積み上げることが、
息子のような子だけでなく、全てのお子さんの成長に繋がると思うのです。それができていけば先生だけが支援するのでなく、子どもたちが自分から認め合い支え合う環境になるのだろうと思います。
きっと、今息子をかわいいと言ってお世話してくれている子たちも、この先大人が決めた分離された世界の中で育てば、息子を忘れ、次に会った時には「障がい児」として息子を見ると思います。
「違い」への理解はどんなに柔軟な子どもでも物理的な距離と心理的な距離が大きくなればなるほど難しくなってしまうのです。まして学校という社会の縮図の中でそれが当たり前であれば「健常児」「障がい児」としか見られなくなってしまう。同じ人であっても、知らないものに対して人は恐怖と不安を覚えてしまう。
私はそれが一番悲しいことだと感じています。だからこそ私たち大人が、特に一番身近な親や教員がそういった子たちにどのように接するか、そういった子たちをどのように捉えるかの指標をしっかり持つことが大切だと感じています。
“「みんなの学校」が教えてくれたこと”の中にこのような記述があります。
“「この子のことを知ろう」と思いさえすれば、みんながつながれる。子どもには「相手を理解しなさい」ではなく、私らとどこが違うのか一回見てみようか?という気持ちで臨んでいました。そうすれば、子どもは大人以上に互いの違いをわかり合えます。「自分と違うから、邪魔やから、向こう行け」という態度を、ともすれば以前の私のように大人が見せてしまっているのかもしれません。
「この子には特別支援学級在籍という肩書きがあるのだから、通常の学級でいっしょに授業などしなくていい」という論理よりも、「この子といっしょに授業するにはどうしたらいいのか?」という発想に立てば、みんなが変わっていきます。
その子のためになることは、ほかの子のためにも必ずなる。その子にわかりやすい授業をすれば、ほかの子にとってもわかりやすい。「その子」を排除することは、かけがえのない学びを捨てるのといっしょ。そのことを多くの大人に気づいてほしいと願います」”(「みんなの学校がおしえてくれたこと」p86)
子どもは学び合い、育ち合います。大人が思っている以上に子どもは自分たちで学び合うのです。
一人一人の学びを守るために色々な学校があっていいと思います。その子の特性により選んでいいと思うのです。ただ、支援が必要な子たちを分けて集めるのでは、せっかくの学びのチャンスを大人が削っていることも多いのではないかと思うのです。
障がいを個性として一緒に育てていけるシステム作りをしていくことが必要なのではないかなと思います。教員も支援員も足りない、雇う予算もないから無理なのであれば、大空小学校のように保護者、地域のボランティア、みんなでサポートしていけばいいのではないでしょうか?
昔は発達凸凹児を学校に通わせる際、「そんなに通わせたいなら保護者が自分で見るべきだ。」と言われたこともあるそうです。
でも私は、学校で親が自分の子を見るべきではないと思っています。学校に親が来ては子どもはやっぱり甘えてしまうし、親だって子どもと離れる時間があるからこそ、「ただいまー」に対して「おかえり」と愛情いっぱい注いであげられるのです。
お隣の松山市では、通常学級に学習アシスタント活用事業というのがあります。原則として教員免許取得者又は教育実習を終了した大学生です。松山は大学があるのが大きいポイントです。
(松山市HPより)
そしてさらに発達に不安のある子どもの「学校生活支援員」活用事業というものもあります。
(松山市HP)
もしかすると今治にももっとしっかりした制度があるのかもしれません。が、それらもこちらから詳しく問い合わせないとわからない状況です。松山市のようにHP上にも明記しわかりやすく公募してくれるといいなと思います。
大前提として、発達凸凹児をサポートするためには知識も体力もある程度必要になりますが、みなさんならどんな条件であれば支援員をしますか?
無償?ボランティア?やらないですよね。私はそこが大事だと思っています。どんなに社会貢献活動であってもやはり個人の生活は大切で、給与は必須だと思うのです。
さらに発達凸凹児に関する知識も必要となれば、発達凸凹児に関わった経験のある方や、その保護者や発達に興味がある方を雇えるサポートシステムがあればいいなと考えています。
スタッフには研修などを行ったり、教員と連携するシステムにしたりすることで、増える対象児に対し、人手不足と言われる昨今の学校現場の補助にもなると考えています。そうすることで、発達凸凹児を抱える保護者の方も経験を生かして働くことができると思うのです。もちろん有償です。きちんと給与が保障されなければいい人材は集まらないと思います。何事もうまくいくためにはWIN-WINの関係が必要だと思います。教育にもっと重点を置くことが非常に重要になってくるように思います。
今治市は、支援学校のある地区です。この数年で療育施設も急増しています。
児童発達支援事業所の増加に加え、保育所等訪問事業なども普及しつつあり、幼稚園、保育園と家庭、療育施設との連携もうまくいっているケースが増えてきている印象を受けます。障がいがあっても幼稚園や保育園など地域で適切な支援や協力を受けながら過ごす子も増えてきており、だからこそ、小学校に上がった途端に切れてしまうのはもったいないと純粋に思います。
せっかくある環境を生かしつつ、新しい風を吹かすような取り組みが出来れば、このまちに住みたいと思う人も増えるのではと思います。まちを作るのは「人」です。どんなに優秀な人であっても、心が育っていなければ魅力は半減してしまいます。子どもたちが戻ってきたいと思えるまちになってほしいと思います。
この記事を書くにあたりこれが正しいのか?という思いがありました。
現に、私の息子が地域に通えたらいいなと希望は抱いていますが、「もの」「人」「環境」などたくさんの奇跡が重ならなければ難しいのもわかっているし、第一にそれが本人のためになるのかを考えると今のままの息子では疑問も残ります。
何も支援がないまま通わせるとデメリットにしかなりません。だからどんな子でも普通級に何が何でもとは思っていません。でも、息子のような特性では難しくても、他のお子さんの中で、あと一人先生が、少しの間だけ支援員がいたならなんとかなる、学年に一人困った時に助けてくれる人がいたならなんとかなる、とか、在籍に関わらず学び合える環境にしてみよう、という発想の転換や工夫次第でなんとかなる子のためにはもっと支援員などのサポートの体制を充実してほしい。あなたが特性のある子に関わる機会があるなら、見方を変えるだけで変わることがあるかもしれません。
何が可能で、どうできないのか。どうしたら可能になるのか。「発達障がい児」と呼ばれる子どもたちは誰一人一緒の子がおらず、様々です。だから総体でみないでほしい。そんな思いで書きました。あくまでも私個人の意見です。きっとうまくいっている事例もたくさんあると思います。でもそのような情報は個人情報の観点からもなかなか知ることができない時代でもあり、調べにくいなと思いました。
でも今できることは情報を集めることと、情報発信をすること、息子の成長を支援することです。
就学までの時間はどうしても決まってしまいますが、そこまでに本人が無理なく伸びることができるように親としてできることをしていくしかないと思っています。
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高橋歩美