【コラム】みんなの学校 ~障がいのある子もともに学べる学校を<前編> ~(高橋歩美)
第8回 「みんなの学校」をご存知ですか?
大阪市住吉区にある公立小学校「大阪市立大空小学校」を、2012年度のまるまる1年間を追ったドキュメンタリー映画です。
「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」
初代校長の木村泰子先生と教職員らが掲げた理念を元に06年開校以来「みんなでつくる、みんなの学校」を目指し創立され、2012年度の大空小学校に在籍した児童約220人のうち、特別支援の対象となる数は30人を超えていましたが、すべてのこどもたちが同じ場で学び合ったのです。教員の数は他の学校と変わらず、保護者や地域のボランティアみんなでサポートし合ったそうです。
ドキュメンタリー映画「みんなの学校」が伝えるもの(2016年5月7日付を再掲)
https://www.seikyoonline.com/article/A922D1FF496592A3ADCD644D04150F45
すごくないですか?
この学校の唯一の約束は「自分がされていやなことは人にしない。言わない。」
それだけ。
「人を大切にする力」
「自分の考えをもつ力」
「自分を表現する力」
「チャレンジする力」
この四つの力を大切にし、生徒たちが学び合い育ち合った学校です。
私は映画は見れていませんが、今回遅ればせながらこの本を読んで、え!!こんな学校が本当にあるんや!こんな学校が(考え方が)今治に欲しい!!と純粋に思いました。
そしてこの初代校長の木村泰子先生の講演会をぜひしたい。オンラインでもいいから一人でも多くの人に聞いてほしい。そう思いました。
それを伝えていくと、お隣の西条市で支援級を受け持っていた先生に繋がりました。話を聞くと西条市は支援級の先生たちが協力し、実際に大空小学校まで見学に行き、木村先生をお呼びして講演会を2回もしていたそうです。なんと!!
こんな身近でしていたのにアンテナが立っていないだけで知りもしなかったことにびっくりしました。
息子が自閉症だとわかった時、真っ先に頭に浮かんだのは、今活躍中の自閉症の画家、石村嘉成さんが在学中のあの高校生活でした。
「なんだ、障がいがあっても理解と協力さえあればみんなで楽しく過ごせる。」働いている時はそう思っていました。
自閉症の5歳の息子は周りの先生や友達の理解や協力により、保育園時代、そして現在の幼稚園・療育施設併用の日々はとても充実した生活を送れています。
息子のような発達に問題がある子どもに対する理解があってこそできていることであります。しかし、再来年に就学を控えて、小学校について調べていくうちに障がい児が地域の学校で生きていくことはそう簡単なことではないことを痛感しました。
一般的に教育相談を受け判定が出ても、最終は保護者の判断だと言われています。
しかし、我が子のように支援が必要な子は、加配の先生や支援員、クラスの理解がなければ地域の学校を選んでもうまくいくわけはなく、実際の所を知りたくて教育委員会に問い合わせてみました。すると、支援学校判定が出て地域の普通級を選んだ場合、知的の子には支援員はつかないと言われました。情緒と知的で扱いが違うの?とまずそこにも疑問がありました。
ただし、生活支援ボランティアならつくかもしれないと言われましたが、これは学校によると言われました。周囲の先輩ママたちの中にも、支援級ではなく普通級を希望したいと伝えたけれど、普通級は基本的にクラスに一人の教員に対して、一人で過ごせる子が前提だと。そうなるとちょっとした時に支援が欲しいお子さんは、必然的に支援級を選ばざるを得ない結果になる。結局、最終判断は保護者と言われていても、支援が受けられないのであれば支援学校や支援級しか選択肢がないことになる。
どうして普通級に支援員がつかないのか?これでは初めから区別されることになってしまいます。何よりも幼稚園までできていることが制度によりできないという切ない感じを受けました。
実際、幼稚園で過ごすうちに息子は少しずつですが人の中に入っていくようになっていました。
人に無関心で、表情も乏しく、呼びかけても無視していた彼が、友達や先生を意識するようになりました。呼びかけや指示にも応じるようになりました。先生やお友達と並んで座ってお絵描きをしたり、工作をしたり、行事では整列をする姿も見られるようになりました。
朝の仕度も自分でスケジュールを確認しながら一人で行うようにもなったし、帰りの仕度の片付けもできるようになりました。
また、園では息子のお手伝いの子ができるようになりました。(笑)
息子が困ったことをしていたらお友達が助けてくれたり、先生を呼びに行ってくれたりするようにもなってきました。
先生が子どもたちに何かお願いしたわけではありません。この子は一人では生きられない。助けてもらいながらじゃないと生きられない。それが子どもたちに自然と伝わり、自主的に助けてくれていることを知りました。
息子は障がいはあるけれど、周囲の優しさや思いやりは確実に感じ取っているように思いました。だからこそ、彼は周囲の人に頼り、手を差し伸べてもらうように自分も周囲に合わせようと成長したのだと思います。
私はこれが人と生きる、集団で生きる良さだと感じていて、個別療育では教えられない素晴らしさだと思っています。しかしこれが幼稚園で終わるのです。
どうして同じことが小学校ではできないんだろう。そう思うようになっていた矢先に「みんなの学校」を知りました
息子は8月末で5歳になりました。
言葉はありません。模倣もうまくできません。トイレも自立していません。意志はカードや手を引いて伝えられますが、言葉がない分うまく伝わらないこともあります。
この状態を文章だけで見たら支援学校がいいのかもしれません。
私は支援学校や支援級が悪いと思っているのではありません。自分が勤務し、支援学校の良さももちろん感じています。
しかし、息子の場合は、彼が成長できたのは、療育もあるけれど、周囲の子どもたちの影響が大きかったと思うからこそ余計に悩むのです。と、ここまでは通常級へ行くことのメリットなどを主に書きましたが、次回はそれだけではない、デメリットも含めての思いを書きたいと思います。
明日の後編へ続きます。
「【コラム】一息ついて、立ち止まって、周りを見ると見えてくるもの。」
「【コラム】場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)“話したいのに話せない”」
「【コラム】超低出生体重児の育児。できることは少しずつでいい、もう焦らない。」
「【コラム】教育相談(就学相談)をご存知ですか?(高橋歩美)」
高橋歩美