ばりじんNo.42。アフリカで活躍する起業家・原ゆかりさん
黒子役として人の夢を応援する。
42人目のばりじんは、世界を股にかけて活躍する起業家、NGO法人MY DREAMの共同代表、株式会社SKYAH CEOの原ゆかりさんにお話を聞いてきました。
彼女の活動の原点から、いまの活動、今治への想い、今後の展開まで。
誰もが羨むキャリアからスタートし、アフリカに魅せられ、独立を決意したストーリーをぜひ最後までお楽しみください。
中学のときに感じた違和感。
ーー原さん、現在「何している人なの?」って聞かれたらなんて答えてますか。
二足のわらじを履いているっていう話をしています。NGO MYDREAMのお仕事と、商社的な、新たに立ち上げた会社のSKYAHの代表です。
一つずつ説明してると長くなって複雑になっちゃうので、シンプルにいうとそれくらいです。
ーーなるほど。ではまずはNGOの活動の方からお話をお伺いできればと思います。アフリカという場所に興味をもったのはいつからですか。
中学生のときにみたNHKのドキュメンタリーがきっかけでした。フィリピンだったと思うんですけど、スラム街で小さな子どもたちがゴミを拾い集めて生活する姿をを見たんです。
当時自分にもそのテレビの子と同じ歳くらいの妹が隣にいて、どこか気分が悪くなる体験でしたし、すごく違和感を感じました。
ーーそれが原点だったんですね。
そうです。具体的にそのタイミングから何かをしたわけではないんですけど、「この子たちがこんなことしちゃダメでしょ。」という気持ちになりましたし、今でも鮮明に記憶に残っています。
ーーそこから進路が決定した感じなんですか。
だと思います。高校の時に父にも留学したいっていう話をしたんですけど、反対されたので、英語を勉強して外国大学に進学しました。
世界の課題感を肌で感じることとなった大学時代。
ーー大学に入ってどんな勉強をされていたんですか。
専攻は中国語だったんです。
ーーえ。アフリカとは全然違うじゃないですか。
高校生のときに、当時の教科書の南京大虐殺の内容が各媒体で違ってたんですよ。おばあちゃんに聞くと「そんなもんなかった!」って言い切っちゃうし。(笑)
それで高校の時に、父に南京大虐殺の記念館に連れて行ってもらったんです。
「知りたい欲」が湧き出すと止まらないので、自分の興味そのままに中国語を専攻して勉強しようという感じでした。
ーーでは大学では中国について勉強されたんですか。
実はそうじゃなくて。
いろんなことを勉強していく中で「模擬国連サークル」というものに出会いました。それにどっぷりはまってしまいました。
中国のことはすぐにどっか行っちゃいましたね。(笑)
論文はミャンマーでしたし。(笑)
ーー模擬国連ってどんなことをするんですか。
ある議題に対して、まずすべての国の立場を勉強し、どの国の立場に立つかを決め、リサーチ後にディベートを行い、決議まで持っていきます。決議までなので、交渉の落とし所や妥協点などの探り合いなんかも学びました。
まさに国連がやっている内容を、各国それぞれの大使の気持ちになって進めていくというものです。
ーーめちゃくちゃハードなんですね。
そうです。でも真剣に国の問題を考えるからこそいろんな課題が見えてくるし、その後の進路の決め手になりましたね。
そこで培ったリサーチ力だったりスピーチ力だったりが磨かれたと思っています。
外務省から大手商社へ。まさにエリート街道。
ーー大学卒業後は外務省に入られたとか。そこではどんなことを。
まずは霞ヶ関で2年間働いていました。そのあと、外務省のプログラムの中で留学ができる制度があったので、アメリカのコロンビア大学に留学し、さらに大学の中でインターンができる制度があったので、ガーナ共和国に滞在し、ボイナリ村と出会いました。
この運命的な出会いがMY DREAM.orgのスタートです。
留学から日本に戻って、ガーナ勤務を希望し実現したものの、2年間の任期でガーナ勤務は終了するわけです。
ここでこの活動を終わらせたくないと思い、アフリカでの活動を続けるために外務省を辞めることになりました。
ーーそれで三井物産に移ったんですね。
はじめはもうめちゃくちゃ大変でした。企業文化だったり、言葉だったり、なにもかもが違う中での仕事だったのですごく働いてしんどかったですけど、今思うとすごく鍛えられたと思います。
ーーなにか聞いていると、全く順風満帆に見えますけど。
そうなんですかね。もちろん一つ一つ思ったことを実現できないことのもどかしさは常にありますよ。
最近で挫折というものであれば、会社立ち上げ前に入った会社ですかね。あまりいえないですけど、ちょっとひどい経験をしましたね。(笑)
イイモノ・イイコトのサイクルを。
ーーMY DREAM は主にどんな活動をされているんですか。
ずっとアフリカで働いていて感じることは、現地でしっかりした技術なり知識を身につけることだと思ったんです。
日本からの支援もできると思いますけど、それが継続していいサイクルとして回っていかないと持続的な発展は叶わないと思っています。
(MY DREAM HPより)
それともう一つ大事なことは、製品自体に魅力を持たせることです。
ーーというのは?
やっぱり「貧しい国」とか「アフリカ」という国でイメージされると、「寄付をしよう」という気持ちになる人も多いかと思うんです。でもそれだけだとダメだと思ったんです。
(鮮やかな色を使った手織りの商品の数々)
製品自体に魅力を感じてもらって「イイモノ」を購入してもらうこと。商品にある物語を感じて、手に取ってもらえること。それこそが今後の発展に必要だと思っています。
(MY DREAM HPより)
ーー今治でも買えるんですか。
Webサイトもあるんですけど、今治だと、”うお駒”さんと、”kontex”さんに商品を置かせていただいています。あとは年に一回行う直売などのイベントで販売しています。
(今年1月に開催されたガーナコットンの展示・即売会 ※その様子はこちらから)
ーー「イイコト」も同時に進めている。
それまで青空教室だった村に、2012年に幼稚園を設立しました。教育などの社会活動も一緒に取り組むことで、さらに村が自立することを目指しています。
幼稚園を作ったのが7年前なので、その子たちが成長して大きくなり、今はその子たちの中学校も作っています。
ーー活動は多岐にわたるんですね。
そうなってますね。シアバターのプロジェクトがあったり、ガーナコットンを使った販売を日本の各地でもしていたり、多くの人に支えられながら活動を続けています。
ーーそれなのに、さらに自分で会社を新たに立ち上げたんですんよね。
実はNGOの活動自体はもうほとんど私の手を離れていて。現地のメンバーがしっかり回してくれています。ちょっと前にアフリカに行った時も「ガーナにいるよ」って話をしても「あぁそう」って感じでしたし。(笑)
もっと多くのサポートをしていきたいということもあって、2018年に会社を立ち上げました。
大好きなアフリカと、今治・日本をつなぐ。
ーー新会社ではどんなことを。
アフリカ進出を目指す日本企業のサポートだったり、その逆に、アフリカの製品を日本で販売したり。アフリカと日本との橋渡しをしている感じです。
商社の機能と、コンサルティングをしているという感じです。
ーーこれからもアフリカを拠点にしていくんですか。
いや、実はそうでもなくて。たまたま一番初めに出会って感銘を受けた場所がガーナだったという話で、そこからアフリカとずっと関わっていますけど、世界中どこでもOKなんです。
昔行っていたミャンマーもそうですし、どこでも活動範囲です。
ーーその一つに今治があるということですか。
よく拠点はどこって聞かれることがあるんですけど、「拠点は全部」ですね。
アフリカも東京も今治も、自分にとって大事な場所なので。
ーー今治で販売とかを行うのは東京と比べちゃうと見劣りするんじゃないんですか?
それがそうじゃないんですよ。前回の即売会も、東京でのイベントよりも売上すごかったですし。
東京だと埋もれちゃうこともあるし、すぐに飽きて消費されてしまう人たちに届くよりも、ストーリーを理解してもらって、背景も含めて購入してくれる人は、場所を限定しないのかなと思ってます。
しかもそれが今治の場合はすごく多かったです。
ーーここまで話を聞いていると、なぜそこまで人のために動けるのかという疑問が出てくるんですけど。めちゃくちゃ利他的ですよね。
どうなんですかね。でも誰でもって感じでもないですよ。自分の身内というか、周りの人たちが喜んでくれていることが自分のエネルギーなんですよ。
関わった村の発展だったり、こどもたちの成長を感じる出来事があると、ハッピーです。
だから、別に人のためというよりは、喜んだ顔を見たいと思ったら自然と活動が続くという感じですかね。
ーーさらに外から見てると、めちゃくちゃ行動力があるように見えます。
実際私一人が世界に与えられるものなんてもうほんとにちっちゃなものですよね。
だからこそ目の前のできることを積み重ねるだけだし、やっていく中で関わる人たちがポジティブな気持ちになる結果が残せればそれでいいかなと。
MY DREAMが続いているのは、チームの力が圧倒的に強いからですし。
ーー今後どうなっていきたとかいう願望はあるんですか。
ん〜。あまり長期的にはないですね。
MY DREAMの場合は、2022年までに寄付からの卒業というものを掲げていますから、まずはそれくらいですかね。
あとは、SKYAHも、目の前のことをコツコツと積み重ねるくらいかなと思っています。私のことなので、何かやっているうちにまた別のやりたいことが何か出てくるのかなと思っています。
ーーあくまで支える役としてですか。
そうですね。想いをもって価値を届けたい人たちの黒子をこれからもやっていきます。
もし自分が前に出ることで役に立つことがあるのならやるんですけど、目立ちたいとか、前に出たいとか、めちゃくちゃ贅沢をしたいとかいうのは、これからもないと思います。
しいていえば、もっと今治の人との仕事が増えればいいですね。
優しい雰囲気を纏った原さんは、外見そのままに、人への接し方にも優しさが溢れていました。
この日はインタビューと一緒に、母校の中学校へのキャリア講演にご一緒させていただきました。
その素敵な雰囲気に触発されるように、学生からは時間をオーバーするほどの手が上がるほど、まさに地元の学生たちのロールモデルになれるようなお話をしてくれていました。
そんな原さんが企画する、大好きな今治で開催するイベントは、地域の課題を感じた原さんならではのイベント。
大人もコドモも一緒に学ぶ「オシゴト塾」。ご興味のある方はぜひ足を運んでみてください。7月20日(土)開催!
1限目10:00〜10:45 原さんのお話
2限目11:00〜11:45 うお駒オーナー 豊田よしみさん
お昼休み イベントページ TORICOさんの交流ランチ(完全予約制)
3限目13:00〜13:45 イベントページ 放送作家のオシゴト
4限目14:00〜16:45 イベントページ 空間デザインのオシゴト
見た目からは想像できない行動力と、圧倒的な実行力。
そして強い想い。そのどれもが原さんが人を惹きつける魅力の源泉になっていると思います。
海外に興味ある人、なにか動き出したい人、原さんに会いたい人。
ぜひその魅力を感じ取っていただければと思います。
原ゆかり
株式会社SKYAH CEO
ガーナNGO法人MY DREAM.org共同代表
MY DREAM HP