【コラム】私の希望(高橋歩美)
ここまで発達障がい児を育てる母親目線で色々書かせていただいてましたが、ここからは別の視点からの意見を書きたいと思います。
私は第一子の出産まで新居浜で県立高校の教員をしていました。新規採用教員として赴任した先で出会ったのが現在新居浜を拠点に画家として活躍している石村嘉成さんでした。(よしくんと呼んでいたのでそのままの呼称で呼ばせてもらいます)
よしくんは2歳で自閉症であると診断され、そこから家族や療育施設、専門カウンセラー、学校の教員などの支援を受けながら成長し、県立高校へ進学しました。当時よしくんは高校2年生で、私は教科の授業でよしくんのクラスを受け持っていました。
自閉症の子がいるということを聞いたとき、「え?大丈夫なの?何か配慮することはないの?というか普通に授業できるの?」と正直戸惑いました。
担任の先生にも色々聞きましたが「普通にしてくれたらいいよ。」と一言。
初めて授業に行った時、「え?この子が自閉症なの!?」と驚きました。全くもって「普通に」授業をしました。1時間座って、普通以上にまじめに授業に臨んでいました。
多少口頭での質問に詰まって時間がかかるくらいで、そんなことはどの子にもあることで、いつの間にか自閉症であることを忘れるようなそんな日々が続きました。
しかし担任からは、ここにくるまで相当な苦労があったことを聞いていました。高校へ入学するまでのご家族と本人の努力はすさまじいものだったこと、高校に入学してからも同じクラスの生徒・保護者に理解してもらうために色々尽くしてやっとここまできたことを聞きました。
私が出会った時には高校に入学して1年経ってそういった問題がやっと和らいでいた頃だったのだと思います。それでも担任と家族の連携した様子や、毎日の通学の協力などは時々目にしたり話に聞いていました。
母親となり今となっては入学したこと自体がすごいことだと思いますし、担任の先生が話していた大変さも理解できますが、当時の私は自閉症の「自」の字も知らないほどの無知で、自閉症ってこんなもんなのかな?くらいの本当に能天気な教員でした。
だからこそ、配慮はするけれど特別扱いせずに同じように接してこれたというのもありました。しかしそれは特別扱いしてもらわなくていいように育ててきたご両親と本人の努力の積み重ねのおかげだったのです。
私が知っているよしくんはみんなに大切にされ、クラスマッチでも容赦なくバッターボックスに立って、みんなと一緒に過ごす普通の高校生でした。
そして当時から一番感じていたのは、わりとヤンキーだった生徒たちが彼のおかげですごく丸くなり人間として優しくなったということです。
よしくんの存在が教員も含め、周りの人間まで変えてくれたような気がします。
それは自閉症という障がいがそうさせたのではなく、よしくんが周囲を温かくする人間に育っていたからだと思うのです。
それから5年。
3人目を出産し、6年目に息子が自閉症である可能性を示唆された時、「障がい」を持った子を産んでしまったという悲しさや申し訳なさに打ちひしがれたことはありましたが、それでも絶望感を味合わなかったのは、私の中によしくんとみんなと過ごしたあの日々があったからです。
できないことはない。
あんな風に周りを動かす人間になれたら万々歳。そう思うようになり、それからまた1年してたまたま紹介された施設がよしくんが幼少期に通った場所であったこと、そしてついこの間、新居浜のあかがねミュージアムで行われた展覧会でよしくんとお父様の和徳さんに会うことができ、お話も伺うことができました。(和徳さんにいただいた文章も載せています。)
和徳さんが「奇跡ですよ。こうやって座っていられることも奇跡ですよ。」と何度もおっしゃっていました。
また、「障がいがあるからってこの子に合わせてもらうのでなく、この子が周りに合わせられるように育てないと。だって社会に出たら合わせないといけないんだから。」と話してくれました。
私はその言葉もすごくよくわかりました。このことは障がいを持つ子を育てる上で大きな課題の一つです。
でも、頑張るのは障がいを持つ人だけでしょうか?障がい者が障がいを乗り越えなければならないのでしょうか?本当に乗り越えないといけないのは、障がいを持つ人たちではなく、障がいを持たない私たちではないでしょうか。
私たちの方が障がい以上の何かもっともっと大きなものを壊していかなければいけないのではでないかと思うのです。
それでも、息子の将来を考えた時、頭ではわかっているつもりでも、どこかで普通の幼稚園や小学校に入れたいという気持ちがずっとありました。できれば普通にみんなと過ごしてほしい。それは私がそう過ごしてきたからそれしかわからないというのも大きかったし、素直な親の思いであるように思っていました。
(動物園で移動の様子 箱が好きな息子なのでカートで移動。とても楽しそうでした。)
今年5年ぶりに仕事復帰した私は、特別支援学校で働いています。実際に支援学校で働いてみるとそれまでの私の思い変わってきました。一人一人に合わせた支援や、先生たちの関わり方、子どもたちの成長を見ていると、何が幸せなのかは人により違うのではないかと改めて気づかされました。
そして知らないことに関してはやっぱり知ることでしか不安も悩みも解決できないと思いました。私だって普通学校がいいと思っていても、普通学級も支援学級も見学したことすらありません。
何も知らないのに私自身が頭に描く偏見でしか物事を考えられていないのです。今の私たちを取り巻く環境は、どうしても多数決になりがちです。大勢が〇、少数は×。そういったことを一つ一つ乗り越えていくためにも「知る」ことはものすごく大切だと思うのです。
それは自分の子どものことを初めとして、家族のこと、福祉のこと、療育のこと、学校のこと、いろいろ調べて「知る」。
その上で考えて選ぶことが大切だと思います。
また現在、特別支援教育に関わる制度は大きく変わってきています。以前では障がいがあるから支援学校へという流れがありましたが、増加する発達障がい児に対処すべく現在では、障がいのある子も地域の普通学級、支援学校へ希望すれば入れるようになりました。この変化を見ると一見社会が変わってきたようにも見えますが、制度だけが独り歩きしている状態で、学校現場は追いついていないのです。
例えば、30人学級に重症心身障害の子が入る、重度自閉症の子が入る、これらが当たり前に起きうる状態ですが、ではそのために教員の数が増やされるかといえばそうではなく、専門知識を持った先生が必ずつくわけではなく、今までやってきた先生たちが学びながら対応することになるのです。
それらに対処すべく特別支援教育の免許状の取得を促すような制度も行ってはいますが、免許の問題でなく、発達障がいの疑いのある子たちが増加している中、日々の子どもたちの対応に精いっぱいで対処しきれていないのが現実です。また、先の参院議員選挙で障がいのある方が当選した際、車いすを利用するために国会の修繕にお金がかかったことや、障がいのある人が議員になる資質があるのかということがニュースになっていて私は驚きました。
これだけバリアフリーじゃなんじゃと言われる中、まだ設備が整っていなかったことも、障がいがなければ資質があるんですか?そんなわけないでしょうと。まだまだそういった越えねばならないものがたくさんあるのです。
そういったことも含め、私たちを取り巻く環境はめまぐるしく変化しており、だからこそ親である自分は、色んなことを知り選択していく必要があると思っています。
そしてここからは私の完全なる妄想の世界です。財政面や法律等全て無視して私が思うことを述べます。
まず、我が家で言えば来年度から息子が幼稚園に入園するため、保活していますが、なかなか今治市もどこも保育士不足で加配をつけることが難しい現状です。
特に私が住む地区は人気校区らしく子どもの数が増え、年々保育所の選考も厳しくなっています。また、発達障がいを抱える子どもたちも年々増加傾向で、このままでは幼稚園や保育園も大変なことになるような気がしています。それは小学校、中学校、高校も同じで、支援を必要とする子どもたちは増加しています。
サポートする大人が足りない。高齢化が進む中で、高齢者の方の力を活用することも考えたけれど、そういった子どもたちを見るのはある程度の体力がいる。
では、そういった子どもたちを抱える親御さんの力を借りることができたらいいのでは?
親御さんの中にはものすごく勉強して知識も経験も豊富な方がいますし、重症心身障がいから軽度発達障害まで様々なお子さんを育てていてバリエーションも豊かです。その方々に幼稚園や保育所の加配や、スクールサポーター、学校の教員に支援方法を指導したり、療育施設、家庭、学校などを繋ぐ手伝いなどをしてもらえたらいいのにと思ったりします。それもボランティアでというわけではなく、仕事としてお給料も発生すればwin-winの形が取れていいのになと思うのです。
(動物園での様子 仕掛け時計を見て3人が一緒に笑っている様子。)
ただこれには様々な問題があることはわかっています。でもそういった新しい取り組みができれば今治市ってすごいな、いいなー!ってなるのになぁと妄想してます。
「妄想すれば、もうそうなっている」
これは私の好きな言葉です。そんなことできるわけない。そう思ったら絶対できないです。和徳さんが言っていた「奇跡」は、希望を捨てずに、信じ続けて支援してきたからこそ生まれたのです。その子が特別すごかったんでしょ。
それもあるかもしれないです。でも努力なくして栄光はないと思います。和徳さんが話した「奇跡」は誰にでも起こせる簡単なものではないです。でも誰にでも起こしうるものだとも思います。そんな「奇跡」が続く日々が周囲に溢れていけばいいなと願っています。
(みんなで夏祭り あきらめかけた浴衣も根性で着る)
子どもの可能性は無限大です。何を信じ、何を思い描いて子育てをしていくのか、それは自由です。
ただ自分の子どものことだけは信じてあげてほしいです。定型発達の二人の姉を見ていても、子どもの吸収力や成長ってすごいなって感じます。それに対し発達障がいの息子の成長は同じことに何倍も時間はかかるけれど、この子の持つ力は私の想像をはるかに超え、予測不能なことが多く、姉以上に驚かされ、ワクワクすることが多いのも確かです。
どうか、発達障がいを持つ子の子育てをしていく際には、たくさんのことを知り、自分とは違う新しい視点を持って、子どもたちの力を信じてほしいと思います。子どもだけでなく人はみんな自分と違うことを忘れないでください。
最後に、この夏家族でお祭り、花火大会、BBQ、プール、川、動物園で楽しみました。
(川遊びの様子)
今までも何回も行ったことはありましたが、今までは息子はプールでは中で水遊びをするよりも流れる水が気になってじーっと見つめたり、動物園でも動物よりも排水溝が気になってしまい、家族5人でどこかに行っても、食事もままならず、必ず3人対2人に分かれ別行動をしていました。
しかし、今年初めて「全員で」同じ時間を共有できました。
最初から最後までとはいかないけれど、一緒に同じものを食べて、一緒に同じものを眺めて笑うことができました。他の家族で当たり前にできることが、私たちはできなかった。でもできた時の喜びは本当にうれしいもので、それが原動力にもなっています。
こんな小さなことに幸せを感じることができるようになって私は幸せものだなと思います。これも息子のおかげです。
今月末は息子の3歳の誕生日です。生まれてきてくれて本当に感謝しています。
高橋歩美