ばりじんNo.37。パーソナルスタイリスト坂上浩代さん。
ハレの日に少しの彩りを。
ばりじん37人目の紹介は、hish-styleという名前でパーソナルカラーと骨格診断を使ったパーソナルスタイリストとして歩き始めた坂上浩代さんのご紹介です。
普通の主婦だった坂上さんが転勤を繰り返す中で、見つけた趣味を仕事にするパーソナルスタイリストになるに至った経緯などをお伺いしています。
ぜひお子さんを持つ主婦の方々の参考になれば幸いです。最後までご覧ください。
ぬくぬくと女子校で育った学生時代
ーー今は今治にいますけど、生まれはどこなんですか。
岡山です。生まれも育ちも、大学までずっと岡山です。
ーーどんな学生時代でしたか。
中・高・大学とずっと女子校だったんですけど、めちゃくちゃ普通の学生でしたね。ふんわりですけど、子供のころはよく服のデザインとかのお絵描きしてました。
絵を描くことは好きでしたね。
ーー他にはなにかありますか。
弓道部でした。しかもキャプテンしてました!
ーー大学ではどんなことしてましたか。
絵を描くのが好きだったので、ざっくりデザインしたいなって感じだったので、大学では環境デザインみたいなのしてました。道路だったり、最後は車のデザインとかだったと思います。
ーーそのころは全然ファッションとかにも興味なかったんですね。
そうですね。現実を見ると、デザインでご飯を食べていくとかいうのは選択肢でなかったですね。
わたし3人姉妹の一番下なので、めちゃくちゃ箱入り娘だったんですよ。
なので、就職は公務員とかお堅い仕事にという親の要望とかもあって、無難に銀行に就職しました。
ファッションを好きになり始めた銀行員時代
ーー就職してからはどんな感じでしたか。
普通に銀行員してました。自分で稼いだお金が入りだして、箱入り娘が箱から出始めた感じですね。
ーー箱から出てどうでしたか。
自分のしたいことをやろうっていう感じで、なんかそのころは「銀行員に見えない服装をしよう」という気持ちで普段の服装は意識していましたね。
ーーほう、それはなぜですか。
なんか真面目そうって思われたくなかったんだと思いますね。なんか同調圧力みたいなものに反発する気持ちがあったのかもわかんないですね。
当時は美容師さんですかってよく言われましたね。
ーー銀行員時代に結婚したとか。
そうですね。ずっと就職してからも岡山にいたんですけど、3年間働いてから結婚して、寿退職という形で仕事は辞めました。
ーーなるほど。それからもずっと岡山ですか。
それが、岡山以外にもいろんな県に支店があるところなので、転勤族になりましたね。
ーーどんな変遷ですか。
岡山のあとは、香川に2年、高知に2年、大阪に2年という感じですね。
ーーそれから今治へ。
そうですね。昨年の8月に来たので、もう一年くらいになります。
ブログをきっかけにファッションを仕事に
ーーここまでほとんどパーソナルカラーのことが出てきてないんですが、いつ頃からパーソナルカラーを勉強し始めたんですか。
いつ頃からかは正確ではないですけど、興味はずっと持ってました。ブログしてる人で好きな人がいて、その人がパーソナルコーディーネーターということをしてたので、あ、これいいなって気になってました。
ーーそれから勉強し始めたということですか。
そうですね。ちょうどその頃大阪に行くときで、本当にたまたまカラースクールの場所が家から自転車でいける距離だったので、「これだ!」ってなりましたね。
ーーびびっときた。
これは運命的なものを感じましたね。
ーー勉強は楽しかったですか。
めちゃくちゃ楽しかったです。色彩学とか、人の印象を考えることとか、すごく勉強になったし、自分にとって良い経験でした。
パーソナルスタイリストへ
ーーそこから仕事にしていくわけですね。
前からなんとなく、街中で見た人を「もっとこうしたらいいのに!」みたいに思うことが多かったので、それを仕事にするといっても、趣味の延長みたいな感じです。
ーー初めはどんなことから始めたんですか。
まずは知人、友人からやり始めました。大阪はやっぱ都会なので、ママカフェみたいな、小さな子どものいるママが集まるカフェみたいなのがあって、そこで小さなイベントでやってみたり、先生のアシスタントをしたりって感じでした。
ーーそもそもなぜやりたいってなったんですか。
やっぱり、色とかで印象って変わるんですよね。それをもっとみんなも知ってほしいという気持ちが強いですね。自分が結婚するときのウェディングドレス選びがすごく大変で、「なんでもっと早く知らなかったんだ」って思いもあったので、もっと広まってほしいですね。
ーー診断って難しくないんですか。
正直、「診断」だけだと誰がやっても結果は一緒なんですよね。公式のようなものに当てはめていくだけなので。
ーーなるほど。
じゃあ何が違うかというと、そこからその人に合わせたファッションだったりを相談させていくんですけど、そこからが本当のお仕事って感じですね。
ーこれから目指す先は。
さっきもあったんですけど、自分がウェディングのときにめちゃくちゃ苦労したので、ウェディングだけじゃないですけど、特別なハレの日の舞台に最適なものを選ぶお仕事をしたいですね。
ーーまだまだ知名度が少ない。
そうですね。パーソナルカラーを知らない方は多いと思いますし、わたしを知る人なんて本当にちょっとだと思うんですけど、まずは自分を知ってもらって、いろんな人のお手伝いがしたいですね。
普段は普通の主婦業を。
ーー普段は主婦業をされてるんですよね。
そうです。7歳と5歳の娘がいるので、毎日バタバタしてます。
ーーどんな1日を過ごしてるんですか。
朝はだいたい6時に起きて、まず上の子を送り出して、下の子を幼稚園に送って、アルバイトがあるときは10時から14時くらいまで働いて、それから下の子のお迎えして、上の子が帰ってきて、家事をしながらご飯の準備して、21時くらいに子どもを寝かしつけますかね。そのときに一緒に寝ることが多いですね。
ーーさすがママはハードスケジュールですね。
アルバイトがないときは比較的ゆっくりできますけどね。平日はバタバタしてますね。
ーーゆっくりする時間はあるんですか。
子どもたちを寝かしつけた後は寝なかったら自由時間ですね。あとはたまにお昼にお友達とランチいったりしますね。
ーー趣味とかはあるんですか。
今は韓国ドラマにはまってますね。日本のドラマにはないようなストーリーが多いので、面白いんですよ。
あとは、高知時代にはまったよさこいも大好きで、今年も子ども2人と参加してきました。
自分の武器を作ること
ーー今治でもようやくパーソナルカラーを始める。
今まではほんとうにちょこっとやる程度だったんですけど、だいぶ生活にも慣れてきたので、本格的に始めようと思います。
ーー趣味の延長に仕事があるってことですね。
そうですね。基本的に転勤妻は正社員とかで働くのが難しいので、やっぱり自分の武器というか強みがいるんですよね。
そのためには、どこでもやれるという自信と実績が必要になると思うんです。
ーーどんなところに喜びを感じますか。
やっぱりお客さんが喜ぶ顔ですかね。聞いてよかったとかいう声をいただくこともあるので、そういうときは嬉しいです。
ーーハレの日には坂上を。
そうなるといいですね。一番輝く日にそのお手伝いができれば嬉しいですね。
実は、坂上さんはみとん今治が運営するカフェMACCHIのスタッフ。
Twitterなどで「ピロ」と名のつく投稿が彼女の投稿です。
イベントや店頭で少しずつ今治の街に慣れ、スタッフ同士、お客さんとの交流も増え、今回本格的にパーソナルスタイリストとして始動することになりました。
写真からも伝わる優しさと、おしゃれでぜひ今治を彩ってほしいですね。
そんな彼女が、初めて単独で開催するイベントも10月に予定されています。
こちらもぜひInstagramからチェックしてみてください!
転勤があるまでの期間にはなってしまうかもしませんが、今治に新しい風を吹き込んでくれることを期待しています。
hish-style
パーソナルスタイリスト 坂上浩代