ばりじんNo.48。今治市地域おこし協力隊・有吉かな子さん 〜Job marche〜
何も知らない今治への移住。
今年度から始まった「Job Marche 〜働けるいまばり〜」の記事が今日から次々と公開されます。
20名近くの、今治で働く女性を取材しました。ぜひ2月いっぱいは、この「Job Marche」シリーズをぜひお楽しみください。
ばりじん48人目の紹介は、伯方島で活躍する、今治市の地域おこし協力隊の有吉かな子さんです。
縁もゆかりもない今治の地、さらには伯方島という島への移住を決めてからの3年間を存分に語っていただきました。なぜ今治にきたのか、今治で何をして、これから何をしていきたいのか。読み応えのある内容になっていると思います。
ぜひ最後までご覧ください。
漫画家を目指した学生時代
愛媛とは縁もゆかりもない、埼玉県で生まれ育った有吉さん。なぜか阪神タイガースファンだったらしいのですが、埼玉でも田舎の方で育った学生時代には、漫画家になりたいという野望があったようです。
ーー協力隊で今治へきたということは、県外の出身なんですよね。
さいたま県の飯能市っていう田舎の出身です。
ーーどんな学生時代を過ごしていたんですか。
高校の時から美術科に入ってたんですけど、なんかずっと漫画書いてましたね。
ーー漫画ですか。
なんかクラスにいませんでした?やたらいろんなところに漫画描く人。それです。
ーー確かにいました。
高校時代の進路相談とかでも「漫画家志望」って先生に言ってたくらいだったんですよ。
ーーどこかに応募とかもしてたんですか。
それはしなかったんですよね。なんか友達に書いたの見せて、いろんなリアクションもらうのが楽しかっただけでした。
家に飾ってくれたりしてくれる子もいたりして、当時はそれが自分のアイデンティティだった気がしますね。
ーー大学も漫画系に?
いやそれが違ってて。高校3年になってようやく先のことを考えるようになって、そんなふざけたこと言ってる場合じゃないなって思って、大学のこと考えるようになったんですけど、やっぱり芸術系の大学行きたいなぁってなったんですよね。
ーー漫画家は諦めたんですね。
高校の美術科にいる人は、だいたいとりあえずみんな漫画から入るんですよ。だからだんだん周りのレベルと見る目も上がってくると、見せるの恥ずかしいってなってくるんですよね。それで結局漫画家の夢はなくなりました。笑
ーーそこから芸大ではどんなことを。
版画専攻だったので版画してましたね。
ーー版画ってあの彫刻刀で板を掘るやつですか。
そうですそうです。ずっと美術科の高校だったんですけど、油絵って昔からみんなやってるし、天才みたいな人いくらでもいるし、そこに自分がいる意味があるのかなって思ったんです。
私は版画とかの幅の狭さが逆によくて。印刷技術の元になったようなものですし、自分の思い通りにならないことへの喜びもあったり、そのアナログ感がなんかすごくよかったんですよ。
ーーそれから芸術家への道には行かなかったんですね。
やっぱり芸術の世界一本で食べていける売れっ子って本当に一握りで。だから作家になりたいという願望はあまりなかったですね。
周りの同級生も、バイトしながら創作活動とかしてる人今でも多くいますし。
私はどっちかというと美術の勉強をしたくて大学に入ったので。
みんないろいろ考えてたと思うんですけど、なぜか私は将来への不安とかを全く気にしてなかったです。笑
なぜか今治へ来ることに
芸術家も漫画家も目指さず、有吉さんが選んだのはこの今治の伯方島という場所での活動。なぜここに来ることになったのか。そして、今どんな活動をしているのかに迫っていきます。
ーー通常の就職活動はしていたんですか。
ん〜なんかその辺は変なところがあって。ひねくれものなので。笑
働きたくないわけじゃないんですけど、普通の会社員ってのはなんとなくイメージできなかったんですよね。
就活で横並びの格好で品定めされる嫌だなって気持ちが強かったんですよ。親も何か言ってくる人じゃなかったので。
ーーあまり就職に乗り気でもなかったんですね。
普通の就活は全然なかったですね。
こっちに来るきっかけになったといえば、当時よく日本仕事百貨っていうサイト見てたんです。地方の小さな規模の職人さんの様子とかが紹介されていて、そこから地方に興味を持ったんです。
一番はじめのきっかけは北海道だったんですけど、そこから地域おこし協力隊という制度を調べ始めたんです。
ーーどうやって今治を選んだんですか。
これはもう直感ですね。愛媛県全体でやってる合同説明会みたいなの行ったんですけど、そこで担当の方がすごく温かく迎えてくれて、ピンときましたね。ここだなって。
私やれそうだなって。
ーー事前に今治に来ることもなく?
引越しの時まで写真以外では見てないですね。笑
ーーなかなかチャレンジャーですね。
そうですかね。笑
今考えるとだいぶリスキーだったなと思うんですけど、結果としてかなり良い決断だったと思います。
ーー生活してみていかがですか。
本当にみなさんにすごくよくしてもらってます。
ーー今は伯方ではどんな活動をされているんですか。
主にデザイン周りの仕事が多いです。ちょうど今現在でいうと、外国人観光客にもっと島をぐるっと一周して欲しいので、そのガイドマップを作っているところです。
その他にも、Tシャツのデザインだったり、開山公園のマップを作ったりですかね。
今使っているここの鎮守の社の天井画のワークショップとかもやりました。
ーーやっぱりデザインのお仕事が多いんですね。
私は、シュッとしたかっこいいデザインとかは苦手で、手書きとかを使って可愛い感じになることが多いんですけど、そういう親しみやすいデザインのお仕事をよくしてます。
ーーワークショップもやられているんですね。
月に一回は子どもたちと一緒にピカソタイムっていうものをやったりしてます。なんでもありの、学校ではあんまりやらないくだらないこととか、巨匠を真似てみるみたいなことをやっています。
なんか以前は子どもとの関わり方わかんなくて苦手だったんですけど、子どもと一緒にやるのはすごく楽しくて刺激的だなと、こっちに来てから感じましたね。
もうすぐ任期が終わり、次はどこへ
地域おこし協力隊は3年間という任期があり、それを終えてどうするかは本人たちの自由。有吉さんも伯方という場所に定住したいという気持ちがありつつも、また違った関わり方も模索していると話します。
ーー今後、こんなことしたいなという願望みたいなのはありますか。
今年度で地域おこし協力隊の任期の3年が終わるんです。そのあとどうしようかというのが今の悩みなんですけど、やっぱり伯方はめちゃくちゃ居心地がいいので、定住したい気持ちはすごくあります。
ーーなるほど。
この地域とか、いろんな人と関われて、本当にすごくいろんなことを感じた3年間だったんです。
ーー他にもやりたいことがある。
2019年はいろんな環境の変化があったので、とりあえずさいたまに戻ると思います。親がやってるカレー屋さんのことをまずはやると思います。
親も、伯方いいとこやからずっといたらいいやんって言ってたくらいなんですけど。
ーー違った関わり方を模索していくわけですね。
とりあえず地方はおもしろいと思ってるし、これからも地方に人が流れていくこともあると思ってます。
なので、せっかくここで作ったいろんな人との関わりを持ちながら、いろんなところで活躍してきたいと思っています。
将来的には伯方にアトリエとか作るとかもいいですね。
ーー伯方島に来て良かったですか。
何も知らない場所に来て、気づいたら「困ったことがあったらあの人に」っていうネットワークができたのがすごく私にとっては感動体験で。本当に周りの人によくしてもらって恵まれていると思います。
しかもそれが年齢・立場関係なくだったりするので、本当にここにきてよかったなとしみじみ思いますね。都会で就職してたらこんなの絶対できないですから。
おしゃべり大好き、自称変な人の有吉さん。本当に伯方島での生活をエンジョイしている様子で、直感で選んだ地域おこし協力隊の勤務先がここでよかったと思う心がにじみ出るインタビューでした。
いろんな環境の変化があって、任期が終わるとさいたまに戻ることになるとはいえ、これからも今治の魅力発信に、伯方島と関わり続けることを思い続けているようです。
これからの幅の広いお仕事の展開も楽しみです。
今治市地域おこし協力隊 有吉かな子