不惑を迎えた元日本代表が見据える、サッカーと今治とこれから。
今治とサッカーを真摯に考える。
毎年恒例のFC今治の選手紹介!
8人目は、今シーズン不惑40歳を迎えた今も安定感と安心感とさらに頭脳をもたらしてくれる背番号27番MF橋本英郎選手です。
加入してから行った数々のチームへのメンタル部分の改善、自身の役割をしっかりとこなすと同時に、ピッチ外での活動、今治へプレイすることへの想いなど。本音をずばずば話していただき、かなり濃い内容となっていると思います。
ぜひ最後までご覧ください。
※取材日は10月末と、昇格後の取材となっています。
○簡単プロフィール
大阪出身の橋本選手は、中学時代からガンバ大阪ジュニアユースに所属し、大学時代にガンバ大阪のトップチームに昇格。その後2001年ごろから徐々に頭角を現し、2005年にはレギュラーに定着してクラブ初のリーグ優勝に貢献。2007年には日本代表に選出され、4年間で国際Aマッチ15試合に出場している。2012年からヴィッセル神戸に移籍し、その後セレッソ大阪、AC長野パルセイロ、東京ヴェルディと渡り、FC今治に移籍を果たした。
自分を一つの駒としてどう配置するか。
今治に加入した理由は大きく3つ。高校の先輩でもある岡田武史オーナーの存在。太田康介選などから情報も得た上での、同じくベテランの駒野選手の加入。そして、今治のこれからの大きな可能性。
大都市を離れた新天地で取り組む、次のステージ。
ーー橋本選手はビジネスなどもやられている中で、現在の脳内はどんな構造になっているんですか。
今は昇格というミッションがあるので、ほとんどサッカーの頭になっていますよ。ただ、よく言われるんですけどぼくの場合は学生時代にプロになったので、その頃からだいたい2つ同時に何かしてることが多いんですよね。
ーーもう慣れてることなんですね。
大学を卒業してしばらくクラブチーム1本だった期間はありましたけど、日本代表に呼ばれ出すと、次はクラブチームと代表ですし。
代表が終わる頃には結婚や子育てだったり、そこからさらに選手として認知される機会が増えてからは、チャリティーをやったり。もうその生活が普通なんですよね。
ーーサッカーだけではなく、外との接点をすごく大事にされていますよね。
そうですね。同じチーム内だけだと情報量が少ないことも多いので、ある程度アンテナをたてて、いろんなトレーニングや、フィジカルの部分だったりを敏感に取り入れていこうという意識はしています。
ーー橋本選手の目からはFC今治はどう見えてますか。
こういう(勝てる要素がたくさんある)クラブでも勝てなくて、もがく期間があるんだなと思いましたね。その辺は言い方悪いですけど、どこか他人事のように見ている部分はありましたね。
そんな苦境からどう立ち上がって乗り越えていくのか。みたいな。
ーーチーム状態が悪い時には何かされましたか。
とにかくまずは自分のパフォーマンスを安定させることでした。そこができつつあったので、周りのサポートだったりチームの風向きを変える作業をしたいなとは常に考えていましたね。
自分は先頭に立って引っ張っていくというよりは、後ろから後押しするタイプなので、その準備は常にしていました。
ーー自分も一つの駒として考えている。
そうです。自分という駒をいつ、どこに、どんな風におけばチームが前に進むかなんてことを常に考えています。
ーーそれはずっとその感覚なんですか。
いや、昔は全然違いましたよ。20代半ばは自分にも厳しかったですし、周りにも厳しい要求をしていたので、ストレスを感じていましたし。中途半端なプレイをしたチームメイトにもキツく言うこともありました。
ただ、それが表現は悪いですけど、徐々に諦めれるようになってきたというか。
いろんな選手に声をかけますけど、次のアクションがないような選手には諦めちゃいますしね。
ーーなるほど。
昔から同じなんですけど、試合に出る選手には要求はおのずと高くなるんですよ。ただ、試合に出ていない選手たちにはさっき言ったようにアクションがなくて改善されない人が多かったりするので。
FC今治の悪いチーム状態というのは、レギュラー選手と控え選手のギャップだったりするんですよね。けが人が出てきて、控えだった選手がピッチに入ったときに、それまでどれだけ準備ができているかになるんですよ。
ーーそれが結果に直結する。
そうです。例えば前節のスタメンだったおかず(岡山選手)なんかは、その準備が体も心もできていたと思います。だからいいプレイができたんだと思います。
ーーメンバーの固定化は納得の行く状態なんですね。
もちろん完全にではないと思いますけどね。腐らずにやりつつけることができる人がどこかでチャンスをつかめると思うんです。
調子上がってきている選手がいても、チーム全体の調子も上がってるとメンバーは変えないですよね。そうなると出番はこないんですけど、チームの調子が下がった時に、その時の状態を維持できていれば使ってもらえるんですよね。
そのチャンスまで耐えることができるかどうかが重要だと思います。
ーーなるほど。
それが、ラッキーボーイと呼ばれる存在だったりするんです。そこから流れが変わっていくことは多くあるんですよ。
ーー橋本選手が個人的に大きく変わったな〜と感じる選手はいますか。
良汰(桑島選手)は変わったと思いますよ。はじめはなかなか苦しいかったと思うんですけど、今はもう逆に外せない選手になってますからね。
それは彼が監督の要求に応えるだったり、チームのためにという気持ちで常に走っていた結果だと思いますよ。
ーー喜びを感じる瞬間ってどんなところに見出すんですか。
練習で厳しい中でも楽しくやれている時ですかね。
文句じゃなくて、いいプレイをするためにチームメイトにしっかり要求したり、競い合っている雰囲気の時は楽しいなって思いますね。
自分たちに目を向けて、相手が誰であろうが自分たちのサッカーを繰り返してやれるかどうかだと思っているので、その結果が勝利だったり昇格だったり優勝だったりするので。
一週間をある意味淡々と、全力で100%出せるかどうかというサイクルにいかにもっていけるかなので
ーーということは、勝つということは喜びではない。
その通りです。今年に関してはほぼホッとしたという気持ちでしたね。
昇格にしても優勝にしても、勝ち点が3ずつしか進まないので、ずっと一喜一憂することはなかったですね。
今治への野望と、将来への野望
今治という地方にやってきた橋本選手は、実は今治のようなサッカーの根付いていない場所でのこれからを楽しんでいるようです。今治への想いと、これからの橋本選手自身の将来への野望も語っていただきました。
ーー現在、オンラインサロンというのもされてますよね。
選手目線でどうキャリアをつないでいくかというのを、いろんな人に助けてもらいながらやっている感じです。セレッソ大阪の都倉賢と一緒にやっています。
(Jリーガーとキャリア研究サロンより引用)
ーー橋本選手を助けてくれる応援団みたいな感じですか。
今はその感じが強いですかね。例えば今は、12月に大阪の大学で講義するんですけど、その内容を相談したりですとか、サッカーの分析をしたりとかやってますね。
あとは単純にサッカー談義とかスポーツ談義をしたりしてますね。
ーーファンクラブとはまた違いますよね。
そうですね。新しいカタチを作っていきたいなという感じでやってます。
ーーオンラインサロンって怪しいものって感じる人もいますよね。
全然そんなことないんですけどね。笑。
まあ怪しいでいうと、ぼくはVRの世界でサッカーの指導が経験できる環境を作ることを目指しているんですよ。
いい指導者に巡り会える人ばかりではないので、そこを地方だからとか、サッカーチームが少ない場所だからとかをなくしていきたいんですよね。
アメフトなんかでは取り入れられているようなので、それをサッカー界に取り入れていきたいなと思っています。
ーーそれが今の橋本選手の2つ目のわらじなんですね。
そうですね。デュアルキャリアだったり、セカンドキャリアはサッカー界にVRを普及させることを日本、世界を含めて考えています。
ーーそんな中で今治という場所を選ぶことは異質だと思うんですけど。
オンラインというものがあるので、地方という環境でもやれるということも一つのチャレンジだったりするんですよ。
もしネット環境がここまで整備されていない時代だと、迷っていたかもしれないですね。
ーーそうなるとすべてがチャレンジングなことですよね。
そうなんですけど、FC今治には多くの支えてくれる方々がいるので、その人たちとの交流も増えますし、ここにくることのメリットはかなり大きいと思って決断しましたからね。
ーーこれからの今治に望むことってありますか。
一つは、応援環境が変わることですね。
ーー応援環境ですか。
今治の人たちって、すごいスタジアムの応援ってあんまり聞いたことないと思うんですよ。ぼくらは、応援の力がどれだけすごいかっていうのを身をもって体験してきているので、その力がまだまだ今治には足りないかなと思っています。
浦和レッズなんかは有名ですけど、松本山雅っていうチームは、田舎で、アクセスの悪い中で1万人を超える人が集まるわけです。行ったことあります?
ーーぼくはないです。
ぼくも見に行きましたけど、ほんとにわくわくする環境だったんですよね。
そんな場所に今治もなってほしいと思っています。もちろん同じものを作れというわけではないんですけど。
だからそのためにもぼくらは最大限プレイでも努力しますし、できることはなんでもサポートしたいと思っています。
ぼくはガンバからキャリアをスタートさせましたけど、ガンバのような歴史のあるクラブだとそういうのはもう出来上がっちゃってるので、好きなように作れないんですよ。
それが今治だとまだ独自の、見に来たいと思ってもらえる環境をイチから作れるので、そこを目指して欲しいですね。
ある種パターン化された私生活。
単身で今治にやってきた橋本選手は、食事の場所もほとんど決まっていて今治での活動ルーティーンが決まっているようです。
ーー今治でよく行かれる場所はありますか。
風音さんですね。昼も夜も1日2回行っていることもあるくらいなので、自信を持ってぼくが今治で一番行っていると言えますね。
ーー誰かに紹介されてハマったんですか。
実ははじめはキックオフパーティーの時からなんですよ。その時は確か風音さんがおでんを出してくれいて、各店舗に、これから定食を出していただけないかとぼくが自分でお話をしていっていたんです。その中で風音さんが対応していただけたということです。
ーーということは橋本スペシャルをご注文ということですか。
いや、ぼくだけではなくて、バランスのとれた定食でFC今治向けのものを作ってもらうお願いをして、それを現状ぼくが一番利用しているということです。
ーー実はぼくは一度橋本選手をかつやでお見かけしたことがあるんです。
ぼくはできるだけ揚げ物を食べないようにしてるんですけど、食事にもオンオフをつけていて、全てをシャットアウトしたらストレスになるので、たまに食べるんですけど、そのタイミングで出会ったのかもしれないですね。1〜2ヶ月に1回くらしかいかないタイミングなんですけどね。
ーー単身で来られて、ローテーションが決まってきたんですね。
そうですね。それでも和洋中を揃えて、風音を中心にして、モア山田さんだったり中華は錦海楼に行きますね。
ーー自炊はされてないんですか。
ぼくは全くしてないですね。駒野はしてるみたいですけど。
ーー今治での生活はいかがですか。
ぼくが動くテリトリーがもうはっきりしちゃってるので、思った以上に今治のことは何にもわかってないと思います。その中でもストレスなく生活できているので、そういう意味ではいい環境だと思います。
ーーオフの日はどこかに行かれるんですか。
いや、ぼくオフはこっちにいないんですよ。週に丸々2日くらいは今治以外の場所にいるのでオフに今治を満喫ってことはないですね。
ーーいろいろな活動されていますもんね。
そうですね。毎週新幹線乗ってますし、しまなみ海道渡ってますね。
ーー上島町でもイベントをされていましたよね。
妻の実家が上島町で、以前から年末年始などで行く時はサッカー教室も開催していたりしたんですけどね。こっちに来てからもイベントを企画しましたけど、それらの活動もこれからですね。これまでなかった地域との取り組みなので、続けていきたいですね。
昇格を決めて10日後。
昇格を決めたマルヤス岡崎戦ではゴールを決め、まさにメモリアルな成績を残した橋本選手。冷静な橋本選手に、昇格を決めてしばらく経ってからの心境を聞いてきました。
ーー昇格したマルヤス岡崎戦に入る前にはどんな気持ちでしたか。
ずっと1試合ずつという意識だったので、昇格云々は全く考えてなかったですね。自分たちが勝っていけば勝手に昇格すると思っていたので。
それよりも首位との勝ち点差が離された状態が、優勝を狙ったシーズンで気になっていましたね。
ーー試合終了の瞬間、昇格の瞬間はホッとした気持ちだとお伺いしましたが、その後喜びを感じる時はありましたか。
テレビの収録の中で画面越しですけど、サポーターの方が泣きながら喜んでくれてたりしてて、それを見て、3年とか5年とか支えてきていただいているみなさんが長い間苦しんできて、Jリーグへやっと昇格したんだという姿を見て、すごく嬉しい気持ちになりましたね。
ーーなにか昇格記念でご褒美みたいなのってありましたか。
いやなにもしてないです。周りの人が言ってくれるので、それにのっかったりするくらいです。
ーー残り試合はどういったものにしたいですか。
今年は守備に関してはうまくいったと思うんですけど、攻撃の部分があまりだったので。そのカタチを作る必要があると思います。
来年に期待していただけるという意味でも、守備でがっちり守ってというよりは、攻撃で魅せて得点を上げたあとにも守備で魅せることができて、そこからさらに最後にカウンターで点を取るというイメージですかね。
ーーいよいよJリーグの舞台ですが。
まあまだイメージとかはそんなに湧いてないですけど。チームとしては攻撃の部分を上げていく必要があると思います。
やっぱり上のステージではチャレンジャーなので。チャレンジしていく上でも、攻撃力を高めていければと思いますね。
なんとこのインタビューでは一時間を大きく超えるものでした。橋本選手の深い知識はサッカーという枠の中では、プレイするだけにとどまらず、街のこと、スタジアムのこと、企業との関係など。常に頭の中がフル回転している印象でした。
全体を俯瞰して見ることができる能力はもちろん、自身のプレイもまだまだ輝きを見せており、さながらピッチ上の監督を今年は演じてくれました。
これからの街全体の成長に、彼の眼は欠かせないようです。