ばりじんNo.43。ホルモン屋阿部商店・阿部利弥さん。
今治をもっと楽しく。
ばりじん43人目のご紹介は、大人気ホルモン・焼肉屋さん、またはラーメン屋さんの「阿部商店」の阿部利弥さんです。
今治を熱くするその心意気と、お店への想い、今治への想いを語っていただきました。
その強面とは裏腹に、優しく、想いが交錯する姿をぜひ最後までご覧ください。
ヤンチャ時代の誤算。
今治出身の阿部さんは、「よく言われる」というように、少し強面だ。その印象の通りに学生時代の話を聞くと、やはりヤンチャだったという。
ただ、人・野球との出会いにより、本人曰く「誤算」と語る、一生懸命に野球に取り組む姿がそこにはありました。
ーー出身は今治だということなんですが、ぶっちゃけヤンチャでしたか?
まあそうかな。笑
成績は全くだめだし。小学校の時から他では目立てないから、何か悪いことすれば目立てると思っていたので、いろいろやってたね。
ーーそこから更生されるわけですか。笑
本当は高校も行かんとこうとおもっとったんやけどね。
高校は今治明徳高校に行ったんやけど、野球の特待生でとってくれたんで、先生も喜んでくれたし。それで高校行こうかなと。
そこから人生が狂い始めたんよね。
ーー狂い始めた??笑
そう。良い方にね。笑
ーーそれは狂うっていうんですかね。笑
中学二年から真剣に野球をし始めたんやけど、恩師に助けられたって感じやね。まさにスクールウォーズみたいな。
もう反骨精神だけでどんどん乗せられてやる気になってしまいましたね。
(トップ画面とは違い、真顔になると少しいかつい感じになる)
ーー高校野球で一気に真面目に。
高校でも、甲子園に出たい!というよりは、やっていくうちに「仲間と頑張ろう」みたいなノリがどんどん芽生えてきて。
最後はキャプテンもしたし、当初の計画をはるかに上回る結果を残せて、そこからまた社会人野球をすることになるんやけどね。
ーーそこから県外に行ったんですね。
そう。愛知のトヨタの部品の会社で野球もしながら。かなり大きな会社でそこに入ることすら難しかったんやないんかな。今考えると。
社会人時代の誤算。
18歳で社会人になっても、壁のようなものを感じてまたも斜に構えた反骨精神が芽生えそうなところを、そこでも人との出会いが阿部さんをより良い方向に導いてくれたそうです。
ーー愛知での社会人生活はいかがでしたか。
いやぁ斜に構えた感じは全然抜けきれんかったね。新入社員の歓迎会とか飲み会とかはじめは一切参加せんかったもん。
言葉もノリも違ったし、ちょっと行きにくかったね。
ーーそこからどう変わっていったんですか。
それも5個上くらいの先輩が、彼も昔はヤンチャしてて。でもかわいがってくれてたし、いろんな遊び方も知ってるし。
それから後輩も入ってくるにつれて、社会人というものに溶け込んだと思う。
ーーじゃあその先輩が変な尖ってた部分を削ってくれてたんですね。
そうそう。今でも連絡とったり、いろんなもの送りあったりしてるし、これも自分の人生がいい方向に向かっていった誤算やったね。笑
ーー愛知にはどれくらいいたんですか。
18歳〜21歳の3年間。そっから今治に帰ってきた。
ーー何かしようと思って帰ってきたんですか。
いやいや。普通に何するか考えずに帰ってきて、土方とか日雇い人夫みたいなんから始めたかな。
25歳の時に、あるちっちゃい会社のおっさんに出会ってちょっと変わってきたね。
ーー何が変わったんですか。
そのおっさんが「足場を覚えろ」っていうから、その仕事を始めた。
ーーなるほど。
ただそっからが波乱万丈で。
28歳の時に、行ってた会社の社長が亡くなって。
いろいろあって周りの人間に「おれが独立したらついてくるか。」って聞いたらくるってことやったから、その時に独立を決意したね。
ーーあれ。ということはもうその会社譲ってるんですか。
いや、今もその会社やってるよ。二足のわらじ的なやつやね。
阿部商店と、とび職。
ーーなるほど。そこから全然ここに阿部商店が入ってこないですね。
そうやね。そのきっかけはだいたい今から7年前くらいにお手伝いし始めた「マルトミ」っていう焼き鳥屋さんに行き始めてからかな。
直接もらえる「ありがとう」に魅せられて。
17年間、今も続ける造船所でやっているとび職では、いろんな苦労も絶えなかったし、人間関係も含め、お金のやりとりや事務作業など苦手な分野にもチャレンジしていた阿部さん。そんな阿部さんが軽い気持ちで始めた飲食店でのお手伝いが、今の阿部商店を作るきっかけになったそうです。
ーー飲食店のお手伝いはどうでしたか。
もともと料理とかは好きやったけど。それよりも、「ありがとう」って言葉に対して「ありがとう」って素直に言える仕事を今までしてなかったら、それが新鮮で。
ーー足場の仕事じゃなかなかないんですね。
造船所の仕事って、何人も何社も間に入ってることもあるし、この足場組んでくれて「ありがとう」なんかほとんどないし、自分も監督とかに「仕事をもらえてありがとう」とかもいうこともなかったし。
ーーそこから飲食の道に気持ちが向き始めたんですね。
そうなんよ。
現場の仕事ってやっぱり外から見える印象のまんまで、「なめられたらあかん!」とか肩で風きって見栄を張るみたいなのはすごく多くて。
なんかそれを飲食店で働き出して、無駄な鎧を脱ぎ始めた感じやったね。
(毎日丁寧に鉄板を洗い、お客さんを迎える)
ーー変なプライドみたいなものがそぎ落とされていったんですね。
そうそう。
それで2〜3年くらいすると、次はオーダーを提供するだけじゃなくて、原価はなんぼやとか、スタッフはどれくらいいれるのがいいんやみたいなのを妄想するようになってきたら、もう行くのが楽しくなってきて。
ーーなるほど。
そっからはもう今までイヤやった頭を下げるとか、大きい声でありがとうとかいうことに抵抗もなくなってきて。
手伝いだして4年くらい経った頃には「おれ、もう自分でやりたい」って気持ちになってきたね。
ーープライド脱ぎ捨てるの簡単でしたか。
いやいや、振り返ってみると「なんであんなもんあったんや。どこで買ってきたんや。」みたいなもんよ。
人間関係も、造船所の中ってすごく難しくて。裏切られたりしたこともあったし。
でもそれがあったからスタッフにも優しくなれたし、裏切られるってのは自分にも原因があるとも思えるようになったし。プライドとは少し違うかもしれんけど、造船所での仕事も今にも活きてるよね。
阿部商店への想い。
「ありがとう」の交換の楽しさを知り、飲食の世界に魅せられた阿部さんが、選んだのはホルモン屋さん。実は飲食店を始める時にはホルモン屋さんにすることを決めていたそうです。お店に込める想いや、今治への想いが熱く詰まった飲食店オーナーへの転身を果たしたようです。
ーーホルモン屋さんは決めていたんですか。
決まっとった。
(友人が自作してくれたという看板)
焼肉って高級なイメージがあるんよね。ぼくらも日雇いとかしてた時も行くとしたら焼き鳥屋さんになってしまうんよね。
ーー確かにそうですね。
焼肉屋さんって今日食べたら明日は食わんでもええやん。お金も胃もたれもみたいな。
でも焼き鳥屋さんって毎日行くやん。だから焼き鳥屋さんのように毎日通える焼肉屋さんみたいなのにしたかったんよね。
ーーなるほど。そういう理由があったんですね。
もっと言うと、自分がいろんなとこ旅行とか仕事で行ったら夜は外食するんやけど、どうせやるなら自分が行きたくなるお店にしたいわけ。
(PERFECT黒ラベルの認証は、ミシュランのように抜き打ち検査で認められる貴重な称号)
実はそれが一番で、飲み終わったらラーメン食べたいし、ちょっと肉焼きたいし。
ーーラーメンめちゃくちゃ人気ありますもんね。
それも、自分がラーメンめちゃくちゃ好きで。でも、ついでではやりたくないし手は抜きたくないからスープから作るし。でもサイドメニューではあるみたいな。
まあここにくれば魚以外はあるよ、みたいなお店やね。
ーー来るのも楽しくなりますよね。
「満足」の中にはいろんな要素があると思うんよね。お金だったり料理だったり。
でも結局楽しんでもらいたいんよね。
(完璧なものが提供されるまで、何度もやり直す)
だから殺人カレーとか、ご飯も大はひどい量を入れたりとか。それでテーブルで笑ってくれたりしたらええやん。
(いちごラーメンは確かに気になる)
ーー楽しめる飲食店っていいですよね。
トイレにお面とかも置いてるしね。そういうなんかちょっとずつを仕掛けてみたりしてるね。
ーーそれってどうやって勉強したんですか。
全部独学よ。
うまいとか、貴重とか、映えとか、そんなのやったところでお客さんって来んのじゃないかなって自分の中であって。
もっというと、何時間煮込んだスープとか、希少部位がとかなってもお客さんこんかったら意味ないもんね。
ーー聞いてると、全部楽しそうに見えるんですけど、逆に苦しい部分なんてあるんですか。
どうしようもないってのは一回もないかな。
あるとすれば、次のメニューとかのアイデアが出てこないくらいのもので、造船所でやってきたような大きな波ってのはこのお店ではないかも。
ーーぶっちゃけめちゃくちゃ流行ってますよね。
飲食店デビューがこの店やから他のお店のことは全然わからんし、そう見えるかもしれんけど、自分では流行ってるとかあんまり気にしたことないかな。
どうすれば初めての人がきてくれるか、リピートしてくれるかとかを考えて、まあそれで自分が失敗したらごめんなさいするしかないし。
でもお客さんが喜んでくれることは全部やりたいし、それだけかな。
これからはお店を飛び出すこと。
昨年から始まった松本町大作戦というイベントを企画。さらにはラーメン博への出店。などなど。店舗だけに止まらず外にも世界を広げ始めた阿部さん。これからの展望をお聞きしました。
ーーこれからやりたいことって今のお店の延長線上にあるんですか。
ん〜。そうやねぇ。
ーー弟子とか、お店を広げたいというような願望はありますか。
2号店がとか、ラーメン屋がどうのこうのとか噂する人もあるんやけど、財力があればできるもんでもないと思ってて。
人が育たないと無理だし、信頼関係と、その人の生活やったり全部ふまえないとダメよね。
(丁寧にノートをつけ、大事なことはメモ。自分を常に律している)
ーー弟子入り志願!みたいな人がきたらどうですか。
いや、もう全部教えるよ。
フランチャイズみたいなことをする気もないし、全部ウェルカムよ。
ーーそれはかなり嬉しい情報ですね。
まあ今の焼き鳥屋さんも今はこんなになってると思ってなかったと思うんよね。でも今やみんなで組合作ったりして、大きくなってきたし。
ーー今治焼き鳥の、ホルモン屋バージョンを作りたいと。
まあそのパイオニアになりたいとか言ったら偉そうやけど、こういうスタイルは関西だとなんぼでもあるし、飯が食えるんだよっていうのに気づいてくれたらいいなと。
「阿部商店みたいな店やったろか」みたいな人が増えるのは嬉しいよね。
ーーこのスタイルの文化を広げていきたいんですね。
そう。やから全部教えるよ!
勝手に真似しても、学びにきてもどっちでもいいよ。
ーーどこからその優しいというか菩薩のような気持ちになってきたんですか。
やっぱり地域盛り上げたいんかな。
ポっと出でもできた自分みたいな人間を、真似してくれて、盛り上がったら楽しいやん。
息子には人気者になれってずっと言ってきたから、損とか得とか関係ないぞ!って言ってたのが今全部自分に跳ね返ってきてて、自分も人気者になるにはそんな細かいこと言ってられんよね。
ーー無骨っぽく見えるのとは裏腹に、全てに理由付けがされてるんですね。
それは、学童野球の監督してるのがすごく大きかったかな。
子どもたちにも、「次のことを考えろ」「相手がなにしてくるか想像しろ」みたいなことを言ってたら、さっきの息子の話と一緒で全部自分もその思考になってしまうんよね。
それでこういう考え方になったんやと思う。
今まで話したことはあっても、ここまで深い話をしたことがなかった阿部さんの裏側は、実に綿密で計画的で、勉強家の一面を覗くことができました。
そのすべてが、お金のためでもなく、自分のためでもなく、お客さんの「楽しみ」を「満足」を満たしたいため。
(ノートを見ながら、進化と変化について熱く話す阿部さん)
その想いが一つの店舗に止まらず、おそらくこれからどんどの外に出てくるんだろうと思います。
誰でもどの年齢・タイミングからでも、覚悟と、お客さんを想う気持ちさえあれば、成し遂げることができるんだと教えてもらえたような気がします。
強面かもしれませんが、外から見えるものとは全く違った一面を見ることができます。ぜひお店に足を運んで、カウンターに座ってもっといろんな話を聞いてみたくなる、そんな取材時間でした
そんな阿部さんを中心とした、おんまくの花火の日の昼間をなんとか盛り上げたいとするみなさんが主催する「松本町大作戦」
第二回ながら、前回よりかなりパワーアップして登場します。
いろんなゲストを招いて、美味しいグルメも充実した内容になっています。夜の花火だけじゃなく、昼間もぜひ芝っち広場に集合です。
阿部商店・阿部利弥
今治市松本町2-1-24
0898-77-3213
18:00〜26:00
定休日:第5日曜日のみ