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ばりじんNo.45。写真家・寺坂ジョニーさん。

生涯イチ写真家で。

ばりじん45人目のご紹介は、今治出身で、現在東京を中心にフォトグラファーとして活躍する寺坂ジョニーさんです。

名前から、只者ではない感じがしますし、特徴的なもみあげとのセットで、一度見たら忘れることのないジョニーさん。

東京で活躍している現在に加え、今後は今治でも写真家として活動していくことを決意し、お話をお伺いしてきました。

カメラを触ったのは4歳。

両親が写真館を営んでいたこともあり、幼少期からカメラというものに親しんでいたジョニーさん。始めて触ったのは4歳の時。そこから、自分の仕事はカメラとともにあるんだという気持ちが芽生えていたようです。

ーー出身は今治なんですよね。

そうです。高校まで波止浜に住んでいました。

ーーどんな学生時代でしたか。

両親が波止浜で小さな写真屋さんをしていたんです。4歳の時からカメラに触って写真を撮ったりしていたので、そればっかりでしたね。

ーーそんなに早くからカメラを。

ずっと小さい頃から父のアシスタントのような働き方していました。

ーーなるほど。

中学2年の時に初めて自分のカメラをゲットしたんですけど、そこからはバイトしてフィルムを買って現像しての繰り返しでしたね。
その時に将来は写真家だなという感じで展望していましたね。

ーーそこから家業を継ごうとかいう話にはならなかったんですか。

フィルムの時代とともに終焉しましたね。
正直今治で継ごうという気は全くなかったですね。むしろ、今治からは一回出たいとずっと思っていました。

ーーそれで東京へ行ったんですね。

高校を卒業して、写真の専門学校に通うことにしました。

継がせたい親を説得する意味で、東京へいくことができました。

弟子入りし、カメラを学ぶ日々。

早く今治を出て、東京で頑張りたいと考えていたジョニーさん。専門学校を卒業したあと、カメラのスタジオで一通りの仕事を学んだ後に、師匠である尾形正茂氏のところに弟子入りし、丁稚奉公を行ったのちに、独立したそうです。

ーー東京へ出ていかがでしたか。

学校に行っていろんな人と出会ううちに、いろんな刺激をもらうことになりましたね。

ーー当時地元へ戻る気は。

1mmもなかったですね。笑

ーーそんな中で師匠のところに丁稚奉公へ行っていたとか。

そうですね。スタジオ勤務の時に師匠を見つけて、そこに丁稚奉公させてもらいました。シャッターを切る以外のことは、本当になんでもやりましたね。

下働きも、準備も雑用も。

ーーしんどくはなかったですか。

あんまり思わなかったですね。それよりも、当時デジカメの登場で、アナログとデジタルの過渡期を経験しました。

その当時の師匠の切り替えの早さはすごかったですし、一気にデジタル移行できたこともあってすごく勉強になる時間でした。

ーーそこから独立されたとか。

2年間みっちり修行させてもらってから独立しました。

ーー当時不安はありましたか。

まあ今でもありますよもちろん。それでも、やれる自信はありました。

ーーポートフォリオを見させていただくと、有名人とか企業さんの写真が多いですね。

今はほとんどポートレート中心です。人の撮影が今の仕事のほとんどですね。

企業さんのHPの撮影や、CM、雑誌の撮影などさまざまです。

これからは少しでも地元を盛り上げたい。

東京での生活はもちろん刺激に溢れて、仕事もある程度順調にこなしていっているというジョニーさん。そんな中で、ここ数年で地元への想いも強くなり始め、愛媛での仕事の幅を広げていこうという気持ちになっているとのことです。

ーー東京での活動はライバルも多いかとは思いますが、順調ですか。

どうですかね。独立してからは少しずつですけど、ずっと右肩上がりでしたけど、昨年くらいに初めて少し落ちたという感じですかね。

ーーみんながカメラを持つようになったからというのもあるんでしょうか。

それもあるかもしれないですね。

値段なんかわからない部分も多かったので、そこをクリアにしたり、もっと簡単に仕事がくるように変えていってはいます。

あと、厄年ってのもあるかもしれないです。笑

ーーそんな中で、愛媛での活動を増やしていこうということなんですが。

今までの東京でのぼくの仕事って、企業向けがほとんどだったんですよ。

それってもちろんしっかりしたところから受注しているので、資金的には安定しているかもしれないんですけど、あくまで向こうの都合になっちゃうんでよね。一回撮ったら撮ったきりで終わりますし。

ーー確かにそうですね。

そう思うと、実家がやっていた写真屋さんっていうのは、地元に根付いた場合、いろんな家族のライフステージで、極端な話その生涯を撮らせてもらうこともあると思うんです。

原点回帰というのかもしれないですが、そういった個人向けの撮影なんかもやっていきたいという想いも強くなってきたんです。

ーーそれでファミリー向けのものも始められているんですか。

さっきの話の続きですけど、撮影して、データで渡すの企業さんとの仕事なんですよね。

でも、写真館などで撮る写真ってアルバムなどのモノに置きかわるじゃないですか。デジタルに移行したとしても、このアナログな部分はやっぱり大事なので残したいと思ったのもあります。

だから、今新しく、等身大の写真集なんかをやり始めました。

ーーなかなかおもしろいですね。

なかなかいいでしょ。もちろん大きさに制限はありますけど、インテリアにもなりますし、広げていけば成長の記録なんかにもわかりやすくていいですよね。

ーー活動の幅を広げていっているんですね。

カメラの役割ってそのお客さんの素敵な時間を切り取って残していくことだと思うんです。そこからもう一回自分の原点を見つめ直すと、こうしたファミリー向けだったり、個人向けのものがないと、なんか楽しくないかもって思ったんですよね。

ーーそれなら企業の数が少ない愛媛でもできそうですね。

実際今の時代だと、東京じゃなきゃできない仕事ってすごく少なくて。データのやりとりさえできれば地方でも十分仕事ってできるんですよね。

そういって時代の後押しもあるので、今治、または愛媛での仕事っていうのも今後増やしていきたいですね。

ーー写真を使って地元を元気にですね。

ぶっちゃけた話、東京の値段と地方の値段が違うことも重々承知しています。

それでもしっかりした適正な値段で、地元でも写真というクリエイティブでしっかりいろんな人のお手伝いができればと思っています。

それで今後はこっちで納税できればいいですね。

ーーこれからやりたいことってあるんですか。

ん〜これしかやってこなかったので、写真しかないですね。

生涯イチ写真家でありたいし、求められたところで最高のパフォーマンスを出すだけですね。

今までも、これからもそれだけだと思います。

ーー最後に。なぜジョニーなんですか。

最初に就職した時の同僚が、ジョニーってあだ名でぼくを呼んでいたんですよ。それで、なんかよくその名前で呼ばれるようになったので、カメラマンとしての名前はジョニーでいこうかなって。そんな感じです。笑

 

独特なオーラをまとい、天に向かうトレードマークのもみあげを持つジョニーさん。

名前から「ジョニー」と名乗りますが、生粋の今治人でした。

東京の華やかな舞台での撮影から、次の舞台に、かつては意識することのなかった地元今治を選んでいるようです。

地元への強い想いが胸に秘められており、帰ってくる理由をいっぱい作りたいと話してくれました。インタビューの大半を、今治の今後や課題などについて熱く話すことができました。

写真家の方の写真を撮るのが非常に心苦しくはありましたが、なんとかお許しいただければ嬉しいです。

今治に住む人はもちろん、在京の方々でもぜひご興味を持たれたかたは、連絡をしてみてください。優しく、暖かい雰囲気で包まれるはずです。

 

寺坂ジョニー

寺坂ジョニー HP

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