【コラム】どんな子に育てたいか。どんな大人でありたいか。(高橋歩美)
私には忘れられない出来事があります。
去年の夏、西条市の川に長女を連れて遊びに行った日のことです。
公園に隣接する小川には水遊びを楽しむ赤ちゃん~中学生くらいまでの子どもたちと、その保護者がたくさんいました。私は長女とどこに入ろうかと、比較的人が少ない場所を選んで水遊びを始めました。
そこでは小学校高学年くらいの男の子(A君)がお母さんと遊んでいて、娘もその近くで一緒に遊び初めました。私も下の子たちを預けての久々に長女と二人きりでのんびり過ごす時間だったので、一緒に川に入り、羽を伸ばしていました。
そのうちに小学生くらいの子どもたちとその保護者が数人やってきて一緒に遊び始めました。
するとA君が川辺に顔をつけて川面の枯れ葉を口にしたり、水を飲んだりし始めました。私は少し違和感を感じましたが、あまり気にしていませんでした。
そのうちに手に付いた砂を口にしたり、お菓子を母親にもらうときもちょうだいの手のサインをしたり、「あー、うー」以外の言葉を発していないのに気付き、もしかしてこの子は話せないのかな?と思い始めました。
ちょうどその頃息子は2歳になりたてで、発達障害の疑いもすでに病院で言われていた頃だったので、発達障害に関して多少知識がついてきていた頃でした。その時、周囲に3~4人いた子どもたちが、親に呼ばれて一人、また一人といなくなり、少し離れた川辺に移動していきました。
そして、気付けば周辺には私と娘とA君だけになりました。
A君の親は何も言わず、ただと一緒に遊んでいました。そのうちに遠く離れている周囲の人たちがこちらを見てひそひそ話すような様子が私にでも露骨にわかるようになりました。
A君のお母さんもそれを感じたのかA君に「帰ろう」と何度も言うようになりましたが、A君はもっと遊びたい様子でなかなか帰ろうとしませんでした。そのうちに無理矢理にお母さんはA君を連れて帰っていきました。
私は、息子のこともあり、話し掛けたい気持ちもありましたが、万が一、発達障害でも何でもなかったらいけないという思いと、何か私に「勇気」のようなものが足りなくて、最後まで話し掛けることができませんでした。
ただ普通に「暑いですね」と世間話でもすれば良かったのに、その言葉すら出なかった自分がいて、その日楽しかったはずなのに何とも言えない気持ちになりながら帰りました。
あれから1年、私は息子を連れて色々な場所に行きますが、息子が大きくなるにつれ、公共の場所や人前に連れて行くときに、多少引け目を感じることがあります。
その度にあの日のことを思い出すのです。
「お子さん、もしかして発達障害ですか?」
と初対面の人に聞く人っているでしょうか?
いないです。
いたとしても医療従事者だったり、何か専門的にその分野に詳しい人だったりするのではないかと思いますし、それにしても初対面の人にそんなぶしつけな質問する人自体なかなかいないと思います。(笑)
あの日、もしA君のお母さんが話し掛けてくれていたら、私はきっと話せていたように思いますが、それは向こうも同じだったと思います。むしろ、向こうの方が話し掛けてもらいたかったのではないかと今となれば思うこともあります。
あの日以来、私は出先で、ちょっと息子が変わったことをして、周囲の人の「あれ?」という表情が見られる時には、自分から「この子自閉症なんです。」と言うようになりました。
あの日、言葉がうまく出ずに話し掛けられなかった私のように、何か思うことがあっても失礼にあたるかもだとかいろんな余計なことが頭に浮かんで話し掛けられない人がいるかもしれないし、言ってもらえないとこちらからはなかなか聞けないな、と実感したからです。
あの日、ひそひそと話していた周囲のお母さんたちがどんなことを話していたのかは正直わかりませんが、「目は口ほどに物を言う」もので、それがなんとなくいい気持のするものでなかったことは確かなように思いました。
人は知らない人のことは好き勝手言う傾向がありますが、お互いを良く知るとそういった影口も少しは減るように感じます。知らないから言えること。それはこのSNS時代、よくあることだと思います。
自閉症や、発達障害という言葉は今やブームかのようにテレビでも取り上げられよく知られるようになりましたが、それがどんな特性なのかどんなものなのかは実際、身内や周囲にいないと知る機会もないと思うのです。
もちろん初対面の人に「自閉症です」とだけ伝えて何かになるとは思っていないし、むしろデメリットになることもあることはわかっています。相手もいきなり言われても困惑するかもしれません。
でも何もしないよりかはましかなと思っています。
特に、困った時(例えば公園などで一緒に遊んでいても順番が守れなかったり、じっとできなかったりして誰かに迷惑をかけてしまう時)には「息子はこういったことが苦手なんです。ごめんなさい。」とこちらから伝えるようにしています。
相手にどうこうしてもらいたいわけではないけれど、もしそれで息子を避けるような仕草をするならそれはそれで仕方ないと思えるし、興味を持って話をしてくれる人がいるなら知ってもらう良いチャンスだと思っています。
そして、あの日、私が学んだことはもう一つあります。
A君の周囲に人がいなくなったのは、子どもたちの意思だけではなかったということです。
遠ざかるように言ったのは紛れもなく「保護者」である大人でした。
大人はいろんなことを知って賢くなっていきます。経験からついつい先走って教えすぎることもよくあります。でも、それがいつも正しいとは限りません。賢くなりすぎてくすんでしまったものもあるのではないかと感じています。
私たち大人のちょっとした動作や言動が、子どもたちの人格や人間性を左右することがあること、特に今回のことに関しては私は大人の嫌な部分が如実に出ていたと感じました。
息子は確かにちょっと変と思われるような行動をしてしまうことがあります。家族ですら変だと感じることがあるのに、見慣れていない人ならなおさら奇妙に感じることがあって当然です。
でも、その時に考えてほしいことがあります。自分がしないこと、自分が見たことのないものを全て異質なものとして排除しようとするのではなく、なぜそんなことをするのだろうと思える視点が様々なことに対して持てるようになると、今の人生もっと楽しくなるのではないかと日々感じています。
このコラムを読んでいただく方々に、ぜひ読んで欲しい本があります。
私も保護者として、一喜一憂、アップダウンすることがよくあります。
実際これを書いている数日前にも、色々あって凹んでしまって、期日までに記事を書けない、ということがありました(笑)
息子のことや自分の人生について悩んでどう動いたらいいかわからなくなることはしょっちゅうで、そんな時は角川文庫の東田直樹さんの『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』を読むようにしています。
東田さん自身、重度の自閉症ですが、自身の感じること、経験を本当にきれいな文章で書いています。内容は深いけれど、とてもわかりやすく書かれており、読んで自分の世界観が変わりました。自分の生き方のくだらなさ、つまらなさを感じました。
知ることの大切さ、話さないから考えていないということでなないこと、今まで自分中心の生き方であったことなどたくさんの気づきをもらいました。これは発達障害のお子さんや家族を持っている方だけでなく、是非たくさんの人に読んで欲しい一冊です。
みなさんの人生にきっと新しい風を吹き込んでくれると思います。東田さんの書かれた本は他にもありますので、是非読んでみてください。きっとみなさんの人生の幅を広げてくれると思います。
高橋歩美