ehime,F,imabari,みとんコラム,みとん今治,コラム,テックプログレス今治連携校,今治,愛媛,管大樹

【コラム】今治の中心はどこか?(管大樹)

アラーキー

みとん今治の代表してます!三十路まっしぐら!

今治の中心はどこか?

今治に来たばかりの頃、飲みに出かけるとこんな話を聞いた。

「信じられないことかもしれませんが、昔の商店街には東京と同じくらいの人がいたんです」

「港からドンドビが見えるなんてあり得なかった」

「子どもの頃、商店街にお使いに行かされた時は、人が多くて緊張しましたよ」

「私は西条出身なんですが、中学生の頃は今治に洋服買いに来てました」

「コムデギャルソンがあったのよ」

「レッドクラウドっていう伝説の古着屋も」

カウンターで「商店街エリア再生の仕事で東京から来ました」と言うと、店のマスターや同席しているお客さんたちは、こんなふうに商店街が賑やかだった頃の話をしてくれる。そして、昔を懐かしむ話から、話題はしだいと現状の商店街エリアを憂う方向に向かっていく。

「車を駐めるところがない」

「何も欲しいモノがない」

「用事がない」

「おんまく以外行くことがない」

最後は、酔ったスナックのママが「あんなところね、全部潰せばいいのよ」と。

かつて、今治の中心地は紛れもなく商店街だった。

およそ400年前、戦国武将で建築家でもあった藤堂高虎公は、海辺を掘り、浜に土を盛り、城や港を造った。それを中心に城下町・港町として今の商店街エリアが形成された。

明治以降も、港と駅という交通拠点を結ぶこのエリアには、数多くの個性的な小売店が軒を連ね、百貨店、喫茶店や食堂、映画館など遊興施設が立ち並び、市役所、銀行が店舗を構える、まさに政治・経済・文化の中心地であった。

これが今日の商店街の光景だ。この写真を見て、みなさんはどのようなことを思うだろうか?

東京に住む友人達に、この写真を見てどう思うか聞いてみたことがある。

専門家であるフォトグラファーは「圧倒的なエンプティネス(空虚感)」とこの写真を評し、

文化人類学の研究者は「まっすぐな道でさみしい」と山頭火の自由律を引用し、

地方創生に各地を奔走する女性は「バリィさんとか言ってる場合じゃねぇだろ」と一喝した。

僕は日に数回外に出て、誰もいない商店街のまっすぐな道を眺めている。そうしたある日、一人の老人が、こう語りかけてきた。

「すまんのう、こんなことになってしもうて。これは、わしらの責任じゃ」

江戸時代から400年もの間、今治の中心地として受け継がれてきた街の衰退は、自分の世代の責任である。勉強不足であった。こうなる前に何かすべきであった、と過去の自分を責めた。

戦後から数十年に渡り商店街のトップランナーとして街を牽引し、かつては繁盛店を切り盛りしていたその方も、次世代に街のバトンを渡すには、あまりにも年を取りすぎてしまった。

現在の今治の中心地はどこなのだろうか?

「中心地」とは、その地域でもっとも「財」が集中しているところを指す。

「財」とは人間の欲求を満たすもの。つまり、有形であればモノ(商品)や建物。無形では交通や教育、様々なビジネス/サービスがそれにあたる。

近年、計画的な「財」の集積地として、今治新都市が開発された。山を削った土地に、イオンモールをはじめ、サッカースタジアム、産業用地、住宅、そして高等教育・研究機関である大学も誘致された。今治城を築城した藤堂高虎公もそうであったように、人間は代々、土地を掘ったり埋めたりして、自然の地面の形状を変え、自分たちの生息範囲を広げて来た。

特に20世紀の日本は、そうすることで2度の人口急増(戦後1940年代後半の団塊世代、1970年代前半の団塊ジュニア)に対応してきた。

総務省の統計によれば、1963年時点で日本の住宅数は2,109万戸。それに対して世帯数は2,182万世帯と住宅が不足している状況にあったものの、1968年には逆転。1973年から住宅数は、世帯数の増加を上回って増加を続け、今に至る。今治新都市の周辺でも、住宅の新築が相次いでいるようだ。

しかし、今治市の人口は凄い勢いで減少し、空き家は増加の一歩をたどっている。つまり、住む人が減り住宅は余っているのに、住宅エリアはどんどん拡大しているのだ。

地方の人口減少は今に始まったことではない。都会に出て行く男性と、故郷に残る女性の対話を歌った昭和の名曲「木綿のハンカチーフ」が紅白歌合戦で歌われたのは1976年の大晦日だった。

この時点で、若者が地元を離れて都会に出て行くことは当然で、そのことを歌った曲が、多くの共感を得るほど当たり前のことになっていたのだ。このような状況が続いてきた中で、自治体が都会からの移住定住促進にどれだけ予算を割いても、覆すことはできない。人口減少は不可避的な流れなのだ。

今から14年前の、商店街エリア(グラフでは中心市街地)と今治全域の人口を比較したグラフを見つけた。グレーの棒が商店街エリアで、黒枠線の棒が今治市全域を現したものだ。

商店街エリアの人口ボリュームの山は、今治市内の全域のそれよりも、20歳高い世代に位置している。団塊世代より20年も先に生まれたお年寄りが多いのだ。つまり、商店街エリアは、他のエリアの20年先をいく先進地域。今治全域の20年後の未来を予兆していると言っても過言ではない。

商店街には、住むことも貸すこともできず、買い手もつかず、取り壊しの費用も捻出できず、朽ちていく建物がたくさんある。

すでに、今治全域で子どもの数は減った。そして、これから団塊世代が相次いて逝去される時代に入る。今後も若者が都会へ出ていくことは止まらないだろう。

今は子どもが増えている新興住宅地でも、20年以内に子ども達は巣立って行く。後には空っぽの部屋のある広い家と、若者ではなくなった家主が残される。その頃、薄く広く拡がった住宅エリアは仇となり、道路・橋、水道管などのインフラの維持・更新のコストを高めていく。それらは税金で賄われるため、住民税は上がっていく。

今治では、今後20年の間で数万人単位で人口が減っていく。その影響は、あまりにも大きくて計り知れない。それなのに、表向きは豊かな生活が続いているから、今の状況が破滅に向かっていると認識する人はあまりいない。 

日本は人口増加にはうまく対応してきた。しかし、もうすでに始まっている人口減少には、未だ対策を打てず、僕らはなんとなく前世代と同じ願望を持ちながら暮らしている。

これからの社会に必要なのは「今の大人たちの願望」ではなく、最悪な状況になっても対応できる「将来に向けたリアル」だ。このままでは、大人になった子ども達が、全てのツケを払うハメになってしまう。

人口増加時代の慣習を捨て、人口減少社会に対応するためにはどうすればいいのか。いつかスナックのママが言ったように「全部潰す」しかないのか。それとも、年老いた僕たちも、わずかに残った若者に対して「すまない」と詫びるのか。

もう一度聞きたい。20年後、今治全域がこうなるかもしれない写真を見て、あなたはどう思うだろうか?

人口減少のプロセスを平常心で眺めていようと決め込こむか? 

今日を生きるために、将来のことなど見ないように目をそらすか?

自分は先に死ぬから「逃げ切れる」とたかをくくるか?

僕たちは、未来に期待してはいないだろうか。

未来なんてどこにもないのだ。

あるのは今の子ども達の将来だけだ。

子ども達の将来を築くのは、国や行政の施策ではない。

なんとかしなければと思う、大人の気持ちの集積でしか、築けない思う。

 

<筆者プロフィール>

管大樹(かん だいき)1978年山形市生まれ。都内でバリスタ、レストランマネージャー、専門学校設立プロジェクトを経て独立。外食コンサルタントとして、教育カリキュラムの作成・企業向けセミナー等を行う他、日本の食文化の再発見を目的としたイベント企画、レストランのスタートアップサポートを行う。201610月より地域おこし協力隊として今治へ移住。翌年4月に商店街に中高生向け施設「F;今治の中高生のひみつきち」、10月に小学生向けプログラミング教室「テックプログレス 今治連携校」を開設。子ども達の未来を見据えた事業の開発から商店街エリアの再生を目指す。(デスメタル好きなわけではなく、本稿でマニアックな文化の一例として取り上げた)

「テックプログレス 今治連携校」では受講生を募集しております。詳しくはホームページをご覧ください。https://tp-link-imabari.wixsite.com/imabari-techprogress